作家の深堀りコラム | 静寂と気配を重ねて──コラージュ作家・井上陽子の世界

作家の深堀りコラム | 静寂と気配を重ねて──コラージュ作家・井上陽子の世界

紙や布、そして描かれた線の断片。それらが互いに呼び合うように重なり、画面の中に奥行きある世界を作り出す井上陽子さんのコラージュ作品は、貼り合わせたパーツのわずかなズレや重なり方の差が、作品全体の空気を変えてゆきます。そうした“微細な変化”も、井上さんの作品の特徴だと感じています。

ご本人は「異なる素材が出会うことで新しいモノの見え方が生まれる」と語ります。その視点は素材だけでなく、光と影、言葉や音など日常のあらゆる組み合わせにもつながっているそうです。

実際の作品を見ると、紙片の余白や薄く染められた断片の層がしっとりとした気配を空間に滲ませ、色の重なりだけで気配が立ち上がるように感じさせてくれるのです。

 

「作品制作を糧にして生きていく」と気づいた出発点

井上さんが本格的に創作へ向き合い始めたのは、美大卒業後の25歳の頃でした。
「作品制作以外にやりたいことも、できることもなかった」と率直に語るように、どんな仕事も続かず、気づけば残っていたのは”作る”という選択肢だけだったといいます。それは苦しい状況から生まれた覚悟である一方、作家としての確かな起点になりました。

転機は2008年、雑貨メーカーとのコラボによるマスキングテープが思いがけずヒット。さらに紙ものブームの追い風もあって著書の出版やメディア出演も続き、停滞していたイラストレーター人生が大きく動き出しました。

そして2020年、インテリアショップIDEEとの出会いにより、受注制作中心の働き方から離れ、「作りたいものを作り、展示販売する」という現在のスタイルへ。創作そのものに集中できる環境が整い、作品世界が一段と広がっていきます。

 

素材を生み出すことから始まるコラージュ

井上さんの作品に独特の深みが宿るのは、使う素材の多くを自ら制作している点にあります。かつては洋書の文字や古紙を中心に用いていましたが、ある時ふと飽和感を覚え、紙や布に絵の具を塗ったり染めたり、オイルパステルで塗りつぶしたりと、素材そのものを生み出す方向へ舵を切りました。

「日々の暮らしの中で、人やモノとの出会い、音、言葉、といった様々なレイヤーやそのコラージュにときめく瞬間が、私の創作の源です。それらが時間をかけて発酵され、『わたし』というフィルターを通して作品となります。」

素材づくりと、日常から湧き上がる感覚とが溶け合い、一枚の作品へと練り上げられていく。そのプロセスそのものが作品の静かな深さにつながっているのでしょう。

また自身のドローイングを分解し、Photoshopで再構成し、シルクスクリーンで刷り、さらに切り刻むという「リ・コラージュ」も行っています。

「貼り合わせることと、プリントの作業が好き」と話すその姿勢は、技法の選択を超えて、思考の整理や感覚の更新といった、創作の内側にある循環のように見えます。

実際の作品には、紙の切り口の荒さや重なりの厚み、インクの密度の揺れなど、素材が持つ“差異の表情”がそのまま残されています。均一に整えるのではなく、違いを違いのまま置くことで、画面に静かな深さが生まれているのだと思います。

 


日常と地続きの制作リズム

制作は午前から夕方まで。犬の散歩へ出るまでの間に、常時10枚ほどを並行して進めるそうです。アトリエには紙、布、絵の具、蜜蝋、ボンド、カッターなど、多様な道具が自然な秩序で置かれています。

作業中の音の使い分けも印象的です。
「手を動かす工程では Podcast を、絵づくりの段階では無音で」と語るように、集中の深さに応じて環境を丁寧に切り替えています。

アイデアが生まれるのは意外にも静かな場所。「眠る前や起きる前のまどろみが一番ひらめく」と言います。旅、散歩、アトリエに差す光など、特別ではない日常の断片がそのまま作品の種になっていく。
創作と生活がゆるやかに混ざり合うリズムが、作品に自然な呼吸を与えているのかもしれません。

 

井上さんのアトリエ


“見えないもの”を形にする試みと、作品を迎える人へ

現在は、目に見えない概念や感覚をコラージュでどう表現できるかというテーマに取り組んでいるとのこと。「当たり前のすごさに気付けるような表現を試したい」と話す姿勢には、身近な世界を丁寧に見つめ直す視点があります。

井上さんは「購入してくださることにまず感謝したい」と話します。
そのお金で食事をし、画材を買い、旅をする。そしてまた作品が生まれる。その循環を裏切らないように、一点ずつ丁寧に向き合っているそうです。

部屋に飾ったとき、素敵な家具を迎えた時のように「あるだけで、なんだか嬉しい」と感じてもらえたら──そんな静かな願いが、作品の奥に確かに息づいているのです。

 

井上さんの作品はこちらから

 

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