吉本さんが暮らす山梨県西桂町の景色
はじまりは「描くことが好き」から
吉本悠美さんの作品に触れると、まず「絵柄」より先に、手の動きが残した密度が届きます。線の勢い、擦れ、重なり。そこにあるのは説明のための輪郭ではなく、触れたくなる“質感の塊”です。暮らしの中でふと目に入ったとき、言葉にする前の気分が、静かに立ち上がってくる。その距離感が、吉本さんの表現の魅力だと感じます。
吉本さんは東京造形大学でテキスタイルデザインを学び、学士課程を2013年に卒業、修士課程を2015年に修了しています。現在はテキスタイルデザイナーとして自分のブランドと企業のプロダクト開発を両立し、大学で教える立場も担っています。
ただ、肩書きが先に立つタイプの作り手ではありません。作品の芯にあるのは、もっと素朴な「描くことが好き」という原点です。小学生の頃からお絵描き教室に通うほど絵が好きで、本格的に制作として向き合い始めたのは美大入学後。先生や先輩、同級生、インターン先で受けた刺激が積み重なり、大学4年生頃には「いつか作家になれたら」と思うようになったそうです。
節目をつくった受賞と「KESHIKI」
活動の節目として外せないのが、2013年の「コッカプリントテキスタイル賞『inspiration』」審査員特別賞受賞です。大学院在籍中に受賞し、その後2016年にはKOKKAから「KESHIKI(けしき)」をリリース。コンセプトは「風景画を飾るように、生活を彩る布」でした。
“風景の気持ち”を布に残すという発想は、今の作品にも通じています。目の前のものをそのまま写すのではなく、心が動いた瞬間の手触りを、別の形に置き換えて残す。その置き換えの精度が高いから、見る側も自分の記憶と重ね合わせやすいのだと思います。
山梨移住で、制作の時間が変わる
もう一つの大きな転機が、拠点の移動です。2018年に東京から山梨県西桂町へ家族で移住。きっかけは、東京造形大学と西桂町・富士吉田市が連携して進めた「富士山テキスタイルプロジェクト」だったそうです
環境が変わると、制作の時間の流れも変わります。吉本さんは制作前に頭の中でたくさんシミュレーションを重ね、縮こまらないために、なるべく大きい紙に描くこともあるとのこと。モットーは「やればなんとかなる、日々精進、鍛錬、体育会系精神」。ここには“根性論”というより、制作を続けるための現実的な体力がにじみます。


テクスチャが主役になる「塊」の発想
「texture object」シリーズについて、吉本さんはこんな問いから始めたと話します。「テクスチャ自体がモチーフとなったら?」。そこから生まれたのが“テクスチャで成り立つ塊”というコンセプトでした。手描きの質感やテクスチャ感を大切にしつつ、自分が目にして脳内に保管してきた「GOOD」「ググッときたもの」を作品を通して共有したい。けれど押しつけはしない。観た人が自由に想像できることを最優先に置き、刺激やインスピレーションの入口になれたらと考えています。
この「余白の置き方」が、吉本作品の品の良さです。分かりやすく言い切らない。けれど曖昧に逃げない。見ている側が自分の感覚を取り戻せる“間”が、画面のどこかに必ず用意されています。
整えすぎない描き味と「見立てる」手法
技法の選び方も、その姿勢と一致しています。手描きの質感が残るもの、勢いよく描けるものが好きで、たとえば「texture object」シリーズでは、油分多めの色鉛筆であるダーマトグラフやグラフを用いたとのこと。整えすぎず、ライブ感が伝わる描き味になるよう意識しているそうです。
さらに、表現を分かりやすくするために「見立てる」という手法をよく使う。抽象に寄せながら、鑑賞の足場も残す。この“足場の作り方”が巧みだから、作品は難解になりきらず、暮らしに入り込めます。
「装飾」を引き受ける、飾ることの意味
暮らしに入り込む、という点では、吉本さんが「装飾」という言葉を自分の領域として捉え始めたという話も印象的です。飾ることは、その対象を大事にすること、愛でること。ポスターを壁に飾れば、その壁や空間に対して愛着が湧く。作品は、作品のことを考えながら見なくてもいい。見ながら別のことを考えてもいい。たまに、ぼーっと眺める存在になれたら嬉しい。
この言葉は、買い手にとっても救いがあります。美術の知識や正しい鑑賞態度を要求されない。好きという感覚から始めていい。その軽さが、長く続く愛着につながります。
PORTRAIT LABへ、そして空間へ
現在の取り組みとしては、具象的なモチーフを自分なりの表現で描く試みを進めつつ、自身のブランド商品の図案でも試行錯誤しているとのことです。
そのブランドが「PORTRAIT LAB」。インタビューでは、コロナ禍の時期に立ち上げたこと、ソファの写真を眺めるうちに「クッションが四角ばかり」と気づき、形を変えたら面白いのではという発想から「Fabric object」へつながっていったことが語られています。
今年の2月15日まで、Spiral Market ルクア大阪で「PORTRAIT LAB × AKIKA EGAMI」のPOP-UPが開催されています。活動が絵から空間へ、自然に広がっているのが分かりますね。
おわりに たまに、ぼーっと眺めるために
吉本悠美さんの作品は、強いメッセージで引っぱるというより、こちらの感覚を少しだけ整えてくれるものです。壁に掛けた日から、毎日が劇的に変わるわけではない。けれど、ふとした瞬間に目が留まり、気分が静かに上向く。そういう“効き方”をする。
テクスチャが好き、色が好き。その入口で手に取って、たまにぼーっと眺める。それだけで十分だと、作品が言ってくれる気がしています。

吉本さんのアトリエにある本棚