コレクション: ミニマル

余白とシンプルな形が際立つ、すっきりとした佇まい。

Our Artists

当店に作品をご提供くださっている作家の皆さまをご紹介するページです。画家、イラストレーター、テキスタイルデザイナーなど、従来のカテゴリーにとらわれることなく、アートとデザインの境界を自由に行き来する、国内外の多彩な作家陣が参加しています。

作家紹介
  • 紙と布、同じ素材からできているというお話

    紙と布、同じ素材からできているというお話

    画像はセルロースの分子構造イメージ(3Dモデル)   紙と布って、実は出発点が近いことをご存じでしたか。ふだんはまったく別ものとして扱われますよね。紙は紙、布は布。けれど少し視点を変えると、どちらも多くは植物由来の繊維を材料にしている、という共通点が見えてきます。綿や麻のような天然繊維も、紙の原料になるパルプも、もとは植物の中にある繊維。そこには、セルロースという植物由来の成分が含まれています。だからこそ、触感や表情のちがいが、かえって面白く感じられるのかもしれません。 では、なぜ紙と布は別の世界に分かれていったのでしょう。答えは意外とシンプルで、素材そのものより、作り方の発想が違ったからです。 紙は、水の力を借りる素材です。繊維をいったん水の中にほぐして散らし、うすい層として広げて、脱水して乾かす。そうすると繊維どうしが寄り添い、面としてまとまります。紙の強さや質感は、繊維のほぐし方や密度、仕上げで変わり、薄くて広くて均一な面を作るのが得意です。 一方、布は、構造で強さを作ります。繊維を束ねて糸にし、織るか編む。糸の太さや撚り、織りや編みのパターンで、しなやかさや伸び、丈夫さが決まります。布が身につけることに向いているのは、引っ張られても破れにくく、動きに合わせて形を変えられるから。これは繊維どうしがくっついているというより、組み方の設計で生まれる性質です。 そして、この二つの間に橋をかける存在が不織布です。不織布は、織らない、編まない。繊維をシート状に広げてから、別の方法で結びつけて布のように仕上げます。針で絡ませたり、水の勢いで絡ませたり、熱や接着で固めたり。用途に合わせて結び方を選べるのが不織布の強みです。なお規格上、不織布は「紙を除外する」と整理されています。見た目が似ていても、別ジャンルとして育ってきたということです。 不織布の中には、さらに紙に近いタイプがあります。それが湿式不織布です。繊維を水に分散してシートにする点で、作り方の気配が抄紙にとても似ています。つまり同じ「水でシートを作る」仲間でも、紙と不織布は狙っている性能や設計の自由度が少し違う。そこが面白いところです。 ここまでをまとめると、違いはこうなります。・紙は、水の中で繊維を広げて、面として固める。・布は、糸にしてから組み立てて、構造として強くする。・不織布は、繊維の層を作って、別のやり方で結びつける。同じ素材の仲間でも、成長の仕方が違ったわけです。   左から、紙・布・不織布の製造工程をイメージした画像。   歴史を考えると、分かれ方にも納得がいきます。紙は、文字や情報、包装と相性がよく、薄くて軽い面として社会を変えていきました。布は、衣服や暮らしの道具として、丈夫さや触り心地の世界を磨いてきました。そして近代以降、不織布が衛生材やフィルターなど「大量に、狙った性能で」作る領域で一気に存在感を増していきます。紙と布の間にあった空白が、用途の広がりとともに埋まっていった、と見てもよさそうです。 そして最先端の話になると、紙・布・不織布の境界はもう少し曖昧になっていきます。代表例がセルロースナノファイバー(CNF)です。植物由来のとても細い繊維で、軽くて強いなどの特性が期待され、材料の世界で注目が集まっています。環境省も利活用に関するガイドライン等を通じて、製品化の動向やリサイクル、CO2削減効果の算定方法などの知見を整理しています。CNFは、紙に混ぜてもよし、不織布の設計に活かしてもよし、複合材料として別の世界へ行ってもよし。共通の材料感覚をもつからこそ、いろいろな領域に入り込みやすいのだと思います。 未来をやさしく言うなら、ポイントは二つだと思います(推測ですが)。一つは、脱プラや循環の流れの中で、紙・不織布・布がそれぞれ得意なところを持ち寄って、より回収しやすい構成や、より少ない材料で同等の性能を出す方向が強まること。もう一つは、触り心地や見た目といった「感覚の価値」と、フィルター性や強度といった「機能の価値」が、同じ一枚の中で共存していくことです。紙が布っぽくなり、布が紙っぽくなり、その間を不織布が行き来する。そういう時代に向かっている気配があります。 紙と布は、べつべつの文化を育ててきた素材です。でも根っこは近い。どちらも多くは植物由来の繊維から生まれています。そう思って身の回りの素材を眺めると、紙の触感が少し布に見えたり、布の表情が少し紙に見えたりします。素材を用途だけでなく、作り方の思想で見直すと、世界が少し立体的になりませんか。 今回はアートとは直接関係のないコラムでしたが、最後までお付き合いくださりありがとうございました。   【出典】・ISO 9092:1988 (iso.org)・Hubbe & Koukoulas 2016(湿式不織布レビュー)(bioresources.cnr.ncsu.edu)・環境省 CNF (env.go.jp)

    紙と布、同じ素材からできているというお話

    画像はセルロースの分子構造イメージ(3Dモデル)   紙と布って、実は出発点が近いことをご存じでしたか。ふだんはまったく別ものとして扱われますよね。紙は紙、布は布。けれど少し視点を変えると、どちらも多くは植物由来の繊維を材料にしている、という共通点が見えてきます。綿や麻のような天然繊維も、紙の原料になるパルプも、もとは植物の中にある繊維。そこには、セルロースという植物由来の成分が含まれています。だからこそ、触感や表情のちがいが、かえって面白く感じられるのかもしれません。 では、なぜ紙と布は別の世界に分かれていったのでしょう。答えは意外とシンプルで、素材そのものより、作り方の発想が違ったからです。 紙は、水の力を借りる素材です。繊維をいったん水の中にほぐして散らし、うすい層として広げて、脱水して乾かす。そうすると繊維どうしが寄り添い、面としてまとまります。紙の強さや質感は、繊維のほぐし方や密度、仕上げで変わり、薄くて広くて均一な面を作るのが得意です。 一方、布は、構造で強さを作ります。繊維を束ねて糸にし、織るか編む。糸の太さや撚り、織りや編みのパターンで、しなやかさや伸び、丈夫さが決まります。布が身につけることに向いているのは、引っ張られても破れにくく、動きに合わせて形を変えられるから。これは繊維どうしがくっついているというより、組み方の設計で生まれる性質です。 そして、この二つの間に橋をかける存在が不織布です。不織布は、織らない、編まない。繊維をシート状に広げてから、別の方法で結びつけて布のように仕上げます。針で絡ませたり、水の勢いで絡ませたり、熱や接着で固めたり。用途に合わせて結び方を選べるのが不織布の強みです。なお規格上、不織布は「紙を除外する」と整理されています。見た目が似ていても、別ジャンルとして育ってきたということです。 不織布の中には、さらに紙に近いタイプがあります。それが湿式不織布です。繊維を水に分散してシートにする点で、作り方の気配が抄紙にとても似ています。つまり同じ「水でシートを作る」仲間でも、紙と不織布は狙っている性能や設計の自由度が少し違う。そこが面白いところです。 ここまでをまとめると、違いはこうなります。・紙は、水の中で繊維を広げて、面として固める。・布は、糸にしてから組み立てて、構造として強くする。・不織布は、繊維の層を作って、別のやり方で結びつける。同じ素材の仲間でも、成長の仕方が違ったわけです。   左から、紙・布・不織布の製造工程をイメージした画像。   歴史を考えると、分かれ方にも納得がいきます。紙は、文字や情報、包装と相性がよく、薄くて軽い面として社会を変えていきました。布は、衣服や暮らしの道具として、丈夫さや触り心地の世界を磨いてきました。そして近代以降、不織布が衛生材やフィルターなど「大量に、狙った性能で」作る領域で一気に存在感を増していきます。紙と布の間にあった空白が、用途の広がりとともに埋まっていった、と見てもよさそうです。 そして最先端の話になると、紙・布・不織布の境界はもう少し曖昧になっていきます。代表例がセルロースナノファイバー(CNF)です。植物由来のとても細い繊維で、軽くて強いなどの特性が期待され、材料の世界で注目が集まっています。環境省も利活用に関するガイドライン等を通じて、製品化の動向やリサイクル、CO2削減効果の算定方法などの知見を整理しています。CNFは、紙に混ぜてもよし、不織布の設計に活かしてもよし、複合材料として別の世界へ行ってもよし。共通の材料感覚をもつからこそ、いろいろな領域に入り込みやすいのだと思います。 未来をやさしく言うなら、ポイントは二つだと思います(推測ですが)。一つは、脱プラや循環の流れの中で、紙・不織布・布がそれぞれ得意なところを持ち寄って、より回収しやすい構成や、より少ない材料で同等の性能を出す方向が強まること。もう一つは、触り心地や見た目といった「感覚の価値」と、フィルター性や強度といった「機能の価値」が、同じ一枚の中で共存していくことです。紙が布っぽくなり、布が紙っぽくなり、その間を不織布が行き来する。そういう時代に向かっている気配があります。 紙と布は、べつべつの文化を育ててきた素材です。でも根っこは近い。どちらも多くは植物由来の繊維から生まれています。そう思って身の回りの素材を眺めると、紙の触感が少し布に見えたり、布の表情が少し紙に見えたりします。素材を用途だけでなく、作り方の思想で見直すと、世界が少し立体的になりませんか。 今回はアートとは直接関係のないコラムでしたが、最後までお付き合いくださりありがとうございました。   【出典】・ISO 9092:1988 (iso.org)・Hubbe & Koukoulas 2016(湿式不織布レビュー)(bioresources.cnr.ncsu.edu)・環境省 CNF (env.go.jp)

  • 訪日外国人は、日本の何に惹かれているのか|データから読み解く日本文化の魅力

    訪日外国人は、日本の何に惹かれているのか|データから読み解く日本文化の魅力

    画像は大川菜々子さんの「富士山」   YouTubeやSNSを見ていると、日本を訪れた外国人が、食事や街の清潔さ、電車の正確さ、店員の丁寧な対応に驚いている動画をよく目にします。そこには誇張された表現もあるかもしれません。再生数を意識した演出も、まったくないとは言い切れません。それでも、2025年の訪日外客数が過去最多を更新したことを考えると、日本に向けられる関心が一時的な話題だけではないことも見えてきます。 では、外国人は実際にどこから来て、どれくらい滞在し、何にお金を使っているのでしょうか。まずは印象ではなく、データから見ていきたいと思います。 ※ 本文で扱う訪日外客数は日本政府観光局が公表する推計値、旅行消費額は観光庁の確報値を基本にしています。   訪日外国人は、過去最多に 日本政府観光局(JNTO)の推計値によると、2025年の訪日外客数は4,268万3,600人。前年比では15.8%増となり、過去最高だった2024年を大きく上回りました。観光庁の調査では、2025年の訪日外国人旅行消費額は9兆4,549億円と推計されています。前年比では16.4%増となり、こちらも非常に大きな規模になっています。 項目 2025年実績 読み取れること 訪日外客数(推計値) 4,268万3,600人 過去最高を更新 前年比 15.8%増 旅行需要が引き続き拡大 旅行消費額 9兆4,549億円 消費規模も過去最高水準 1人当たり旅行支出(一般客) 約22.9万円 国や地域により大きな差 ※ 観光庁の1人当たり旅行支出は、クルーズ客を除く「一般客」を対象にした指標です。そのため、旅行消費額の総額を訪日外客数全体で単純に割った数字とは一致しません。 ここで大切なのは、訪日外国人をひとまとめに見ないことです。 近い国から短期間で何度も来る人もいれば、長い休暇を使って日本各地を巡る人もいます。買い物を楽しむ人もいれば、食事や宿泊、移動そのものを含めて日本を体験する人もいます。   どの国・地域から来ているのか...

    訪日外国人は、日本の何に惹かれているのか|データから読み解く日本文化の魅力

    画像は大川菜々子さんの「富士山」   YouTubeやSNSを見ていると、日本を訪れた外国人が、食事や街の清潔さ、電車の正確さ、店員の丁寧な対応に驚いている動画をよく目にします。そこには誇張された表現もあるかもしれません。再生数を意識した演出も、まったくないとは言い切れません。それでも、2025年の訪日外客数が過去最多を更新したことを考えると、日本に向けられる関心が一時的な話題だけではないことも見えてきます。 では、外国人は実際にどこから来て、どれくらい滞在し、何にお金を使っているのでしょうか。まずは印象ではなく、データから見ていきたいと思います。 ※ 本文で扱う訪日外客数は日本政府観光局が公表する推計値、旅行消費額は観光庁の確報値を基本にしています。   訪日外国人は、過去最多に 日本政府観光局(JNTO)の推計値によると、2025年の訪日外客数は4,268万3,600人。前年比では15.8%増となり、過去最高だった2024年を大きく上回りました。観光庁の調査では、2025年の訪日外国人旅行消費額は9兆4,549億円と推計されています。前年比では16.4%増となり、こちらも非常に大きな規模になっています。 項目 2025年実績 読み取れること 訪日外客数(推計値) 4,268万3,600人 過去最高を更新 前年比 15.8%増 旅行需要が引き続き拡大 旅行消費額 9兆4,549億円 消費規模も過去最高水準 1人当たり旅行支出(一般客) 約22.9万円 国や地域により大きな差 ※ 観光庁の1人当たり旅行支出は、クルーズ客を除く「一般客」を対象にした指標です。そのため、旅行消費額の総額を訪日外客数全体で単純に割った数字とは一致しません。 ここで大切なのは、訪日外国人をひとまとめに見ないことです。 近い国から短期間で何度も来る人もいれば、長い休暇を使って日本各地を巡る人もいます。買い物を楽しむ人もいれば、食事や宿泊、移動そのものを含めて日本を体験する人もいます。   どの国・地域から来ているのか...

  • 複数のアートを並べて飾る|暮らしの眺めの育て方

    複数のアートを並べて飾る|暮らしの眺めの育て方

    暮らしの中に生まれる眺め アートを飾ると聞くと、まず思い浮かぶのは、壁に大きな作品を一枚掛ける姿かもしれません。 ソファの上、玄関、リビングの正面。そこに一枚の絵があるだけで、空間の印象は大きく変わります。 大きな一枚には、部屋の中心をつくる力があります。 視線を引きつけ、空間を引き締め、その場所にひとつの象徴的な表情を与えてくれます。 一方で、楽しみ方はそれだけではありません。 小さめの作品を複数枚飾ると、一枚の大きな作品とは違い、作品同士のあいだに余白やリズムが生まれます。 横に並べて穏やかな広がりをつくる。少し高さをずらして、壁面に動きを出す。廊下や階段に沿って配置し、歩きながら少しずつ眺める。 そうした飾り方には、空間全体に表情を重ねていくような楽しさがあります。 複数枚を飾ることは、壁を埋めるための方法ではありません。 むしろ、ひとつの強い印象で空間を決めるのではなく、小さな眺めを少しずつ重ねていくような行為です。 欧米の住宅に見る、複数枚を飾る文化 欧米の映画やインテリア写真などで、階段や廊下に家族写真が何枚も飾られている場面を目にすることがあります。 子どもの成長、旅先での一枚、家族の記念日、祖父母の写真。そうした写真が、階段の勾配に沿って並べられている風景です。 もちろん、すべての欧米の家に共通する習慣ではありません。国や地域、家族観、住宅の広さによっても違いがあります。 それでも、家族写真を複数飾る行為には、ひとつの考え方が見えてきます。 それは、写真を単なる記録としてしまい込むのではなく、日々の暮らしの中に置いておくという感覚です。 階段を上がるとき、廊下を通るとき、ふと目に入る。 毎回じっくり眺めるわけではなくても、そこにあることで、家族の時間や記憶が住まいの一部になっていく。 アメリカの文化人類学者リチャード・シャルフェンは、著書 Snapshot Versions of Life(1987年)の中で、家庭内の写真や映像を「ホームモード・フォトグラフィー」と呼び、人々が写真を通じて家族の記憶やアイデンティティを形成していることを明らかにしています。写真は単なる装飾や記録ではなく、家族や個人の記憶を支えるものとして日常の中に置かれているというのが、シャルフェンの見方です。 この考え方は、複数の作品を飾ることにも通じます。 家族写真が「家族の時間」を重ねるものだとすれば、作品は「その人が心地よいと感じるもの」「惹かれる色やかたち」「暮らしの中で大切にしたい気分」を重ねるものと言えるかもしれません。 一枚の大きな作品で空間を決めるのではなく、複数の作品を通して、その人らしい眺めが生まれていく。 そこに、この飾り方ならではの価値があります。 連続して並べることで生まれるリズム 複数枚を飾るとき、もっともわかりやすい効果は、視線の流れが生まれることです。...

    複数のアートを並べて飾る|暮らしの眺めの育て方

    暮らしの中に生まれる眺め アートを飾ると聞くと、まず思い浮かぶのは、壁に大きな作品を一枚掛ける姿かもしれません。 ソファの上、玄関、リビングの正面。そこに一枚の絵があるだけで、空間の印象は大きく変わります。 大きな一枚には、部屋の中心をつくる力があります。 視線を引きつけ、空間を引き締め、その場所にひとつの象徴的な表情を与えてくれます。 一方で、楽しみ方はそれだけではありません。 小さめの作品を複数枚飾ると、一枚の大きな作品とは違い、作品同士のあいだに余白やリズムが生まれます。 横に並べて穏やかな広がりをつくる。少し高さをずらして、壁面に動きを出す。廊下や階段に沿って配置し、歩きながら少しずつ眺める。 そうした飾り方には、空間全体に表情を重ねていくような楽しさがあります。 複数枚を飾ることは、壁を埋めるための方法ではありません。 むしろ、ひとつの強い印象で空間を決めるのではなく、小さな眺めを少しずつ重ねていくような行為です。 欧米の住宅に見る、複数枚を飾る文化 欧米の映画やインテリア写真などで、階段や廊下に家族写真が何枚も飾られている場面を目にすることがあります。 子どもの成長、旅先での一枚、家族の記念日、祖父母の写真。そうした写真が、階段の勾配に沿って並べられている風景です。 もちろん、すべての欧米の家に共通する習慣ではありません。国や地域、家族観、住宅の広さによっても違いがあります。 それでも、家族写真を複数飾る行為には、ひとつの考え方が見えてきます。 それは、写真を単なる記録としてしまい込むのではなく、日々の暮らしの中に置いておくという感覚です。 階段を上がるとき、廊下を通るとき、ふと目に入る。 毎回じっくり眺めるわけではなくても、そこにあることで、家族の時間や記憶が住まいの一部になっていく。 アメリカの文化人類学者リチャード・シャルフェンは、著書 Snapshot Versions of Life(1987年)の中で、家庭内の写真や映像を「ホームモード・フォトグラフィー」と呼び、人々が写真を通じて家族の記憶やアイデンティティを形成していることを明らかにしています。写真は単なる装飾や記録ではなく、家族や個人の記憶を支えるものとして日常の中に置かれているというのが、シャルフェンの見方です。 この考え方は、複数の作品を飾ることにも通じます。 家族写真が「家族の時間」を重ねるものだとすれば、作品は「その人が心地よいと感じるもの」「惹かれる色やかたち」「暮らしの中で大切にしたい気分」を重ねるものと言えるかもしれません。 一枚の大きな作品で空間を決めるのではなく、複数の作品を通して、その人らしい眺めが生まれていく。 そこに、この飾り方ならではの価値があります。 連続して並べることで生まれるリズム 複数枚を飾るとき、もっともわかりやすい効果は、視線の流れが生まれることです。...

  • 作家の深掘りコラム|青山佳世。絵が模様になる瞬間

    作家の深掘りコラム|青山佳世。絵が模様になる瞬間

    画像は2025年の個展「花の模様」より 青山佳世さんは、小さい頃から絵を描くことが好きで、授業中もノートに落書きをしているような子どもだったそうです。大阪外国語大学でスウェーデン語を専攻し、在学中に一年間、現地の国民高等学校の美術科へ留学。留学中に目にした制作環境——大きな機織り機、シルクスクリーンのプリント工房、木工や陶芸の工房、昼夜を問わず自由に制作できる教室——に胸を躍らせ、卒業後に再びスウェーデンへ渡り、ヨーテボリ大学デザイン学部へ進みました。 青山さんが通ったキャンパス Photo by Natalie Greppi 模様との出会い 現地の大学2年目、青山さんはテキスタイルの授業で初めて「総柄模様」の作り方を学びました。紙を十字に切り、場所を入れ替えながら描いていくことで、一枚の絵が繰り返しのある模様へと変わっていく。その仕組みとの出会いは、大きな衝撃だったようです。 ちょうどその頃は、「絵を描いて仕事をしていくにはどうしたらいいのだろう」と悩んでいた時期でもありました。そんな中で「模様を作ることで、自分の描いた絵がデザインになるんだ」という気づきは、今も鮮明な記憶として残っているそうです。 翌年には、オランダのテキスタイルミュージアムでミナ ペルホネンの展示を観て深く感銘を受け、同じ時期にスウェーデンの壁紙メーカー Sandberg tapeter でのインターンも経験しました。寒く暗い冬が長いスウェーデンでは、家の中を心地よく整える文化があり、植物をモチーフにした壁紙が多くの家庭で親しまれています。デザイナーの手描き作業や職人の技術を間近で見たことも、青山さんにとって大きな学びとなったとのこと。 帰国後はミナ ペルホネンで約3年間アシスタントとして勤務。壁紙と洋服では分野は違っても、手描きの柄が人の心を惹きつけたり、癒やしたりすることは同じ。その思いが、自分自身の図案を生み出したいという気持ちへとつながり、フリーランスとしての活動が始まりました。 120の図案、それでも尽きない試み 以来、青山さんは「リピートできる総柄模様」にこだわりながら制作を続けてきました。これまでに手がけた図案は、120ほどにのぼります。 模様の構成、リピートの仕組み、画材の選び方、モチーフとの出会い。試してみたいことは、今も尽きません。 「模様が出来上がった時にはいつも『こんなのができた!』と新鮮な気持ちで眺めていて、それが楽しいのです」 描いている最中には、リピートされたときの全体像がはっきり見えているわけではありません。ひとつの図案が繰り返され、広がっていくことで、思いがけない表情が現れる。その予測しきれない面白さが、制作を支えているそうです。 手の跡を残すこと 青山さんが一貫して大切にしているのは、手で描いた線のブレ、絵の具のにじみ、意図せずに生まれた色の塗りムラです。それらは整えきれないものとして残るのではなく、作品に自然な呼吸を与えます。その揺らぎを、青山さんは「自分が自然の一部であることの表れのような気がする」と表現します。 3年ほど前から取り組んでいる陶芸にも、同じ姿勢が流れています。土や釉薬、焼き上がりは、思い通りにコントロールできることばかりではありません。「出来上がりをコントロールしようとしすぎないこと」——模様作りにも陶芸にも共通する、大切な感覚です。 お使いのブラウザでは動画を再生できません。 当店にご提供いただいた作品「POTTERIES」の制作動画 暮らしのそばにある絵 青山さんが近年よく描くのは、草花や生き物、果実や野菜など、暮らしのそばにあるモチーフです。道端の雑草、庭に咲く花、手に取った食材の鮮やかな色。そうした日常の中の小さな出会いが、作品の出発点になっています。 有機的なモチーフに惹かれるのは、それらが「人の気持ちに寄り添えるような気がする」から。部屋に植物を飾ると生活に彩りが生まれるように、自分の作品も誰かの暮らしにそっと寄り添うものであってほしい。植物にはそれぞれ季節があるので、季節ごとに作品を変えて飾ってもらえるようなものが今後作れたら——青山さんはそう語ります。 強く主張するのではなく、暮らしの中で静かに時間を重ねていくもの。描くモチーフへの愛情が伝わってくる青山佳世さんの作品には、そんな魅力があります。絵の中に、描いた人の気配が感じられる——そう思わせてくれるのも、青山さんの作品ならではです。...

    作家の深掘りコラム|青山佳世。絵が模様になる瞬間

    画像は2025年の個展「花の模様」より 青山佳世さんは、小さい頃から絵を描くことが好きで、授業中もノートに落書きをしているような子どもだったそうです。大阪外国語大学でスウェーデン語を専攻し、在学中に一年間、現地の国民高等学校の美術科へ留学。留学中に目にした制作環境——大きな機織り機、シルクスクリーンのプリント工房、木工や陶芸の工房、昼夜を問わず自由に制作できる教室——に胸を躍らせ、卒業後に再びスウェーデンへ渡り、ヨーテボリ大学デザイン学部へ進みました。 青山さんが通ったキャンパス Photo by Natalie Greppi 模様との出会い 現地の大学2年目、青山さんはテキスタイルの授業で初めて「総柄模様」の作り方を学びました。紙を十字に切り、場所を入れ替えながら描いていくことで、一枚の絵が繰り返しのある模様へと変わっていく。その仕組みとの出会いは、大きな衝撃だったようです。 ちょうどその頃は、「絵を描いて仕事をしていくにはどうしたらいいのだろう」と悩んでいた時期でもありました。そんな中で「模様を作ることで、自分の描いた絵がデザインになるんだ」という気づきは、今も鮮明な記憶として残っているそうです。 翌年には、オランダのテキスタイルミュージアムでミナ ペルホネンの展示を観て深く感銘を受け、同じ時期にスウェーデンの壁紙メーカー Sandberg tapeter でのインターンも経験しました。寒く暗い冬が長いスウェーデンでは、家の中を心地よく整える文化があり、植物をモチーフにした壁紙が多くの家庭で親しまれています。デザイナーの手描き作業や職人の技術を間近で見たことも、青山さんにとって大きな学びとなったとのこと。 帰国後はミナ ペルホネンで約3年間アシスタントとして勤務。壁紙と洋服では分野は違っても、手描きの柄が人の心を惹きつけたり、癒やしたりすることは同じ。その思いが、自分自身の図案を生み出したいという気持ちへとつながり、フリーランスとしての活動が始まりました。 120の図案、それでも尽きない試み 以来、青山さんは「リピートできる総柄模様」にこだわりながら制作を続けてきました。これまでに手がけた図案は、120ほどにのぼります。 模様の構成、リピートの仕組み、画材の選び方、モチーフとの出会い。試してみたいことは、今も尽きません。 「模様が出来上がった時にはいつも『こんなのができた!』と新鮮な気持ちで眺めていて、それが楽しいのです」 描いている最中には、リピートされたときの全体像がはっきり見えているわけではありません。ひとつの図案が繰り返され、広がっていくことで、思いがけない表情が現れる。その予測しきれない面白さが、制作を支えているそうです。 手の跡を残すこと 青山さんが一貫して大切にしているのは、手で描いた線のブレ、絵の具のにじみ、意図せずに生まれた色の塗りムラです。それらは整えきれないものとして残るのではなく、作品に自然な呼吸を与えます。その揺らぎを、青山さんは「自分が自然の一部であることの表れのような気がする」と表現します。 3年ほど前から取り組んでいる陶芸にも、同じ姿勢が流れています。土や釉薬、焼き上がりは、思い通りにコントロールできることばかりではありません。「出来上がりをコントロールしようとしすぎないこと」——模様作りにも陶芸にも共通する、大切な感覚です。 お使いのブラウザでは動画を再生できません。 当店にご提供いただいた作品「POTTERIES」の制作動画 暮らしのそばにある絵 青山さんが近年よく描くのは、草花や生き物、果実や野菜など、暮らしのそばにあるモチーフです。道端の雑草、庭に咲く花、手に取った食材の鮮やかな色。そうした日常の中の小さな出会いが、作品の出発点になっています。 有機的なモチーフに惹かれるのは、それらが「人の気持ちに寄り添えるような気がする」から。部屋に植物を飾ると生活に彩りが生まれるように、自分の作品も誰かの暮らしにそっと寄り添うものであってほしい。植物にはそれぞれ季節があるので、季節ごとに作品を変えて飾ってもらえるようなものが今後作れたら——青山さんはそう語ります。 強く主張するのではなく、暮らしの中で静かに時間を重ねていくもの。描くモチーフへの愛情が伝わってくる青山佳世さんの作品には、そんな魅力があります。絵の中に、描いた人の気配が感じられる——そう思わせてくれるのも、青山さんの作品ならではです。...

  • 作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

    作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

    画像はサトウさんのアトリエ 日常に溶け込みながら、それでいて気の利いた色と形でありたい。サトウアサミさんの作品には、そんな確かな意志が宿っています。比較的シンプルな形のはずなのに、どこか複雑な奥行きがある。それは、作家とデザイナーという二つの視点を意識的に行き来することで生まれる、サトウさんならではの緊張感なのだと思います。 作品との最初の出会い 制作を本格的に始めたのは、高校2年生のころ。美術科でデザインの基礎を学びながら、課題とは別に木版画の独学に打ち込みました。分野を分けずに取り組むその姿勢は、今の活動スタイルにも自然につながっています。 19歳のとき、木版画を中心とした展覧会を開催。そこで作品を見た方からイタリア料理店のロゴとサインのデザインを依頼されたことが、商業デザインへの最初の一歩となりました。"表現するための作品"と"使うための作品"。一見相反するように見えるこの二つが、実は同じ根を持つものだと体感したこの経験が、以来ずっと制作の根底に流れています。デザインと表現、どちらかに偏ることなく両方を手がけ続けているのは、その原点があるからかもしれません。 素材と制作のプロセス 現在の制作は、和紙×墨、あるいは洋紙×アクリル絵の具で原画を描くことから始まります。木版画の時代からの流れで、和紙と墨は今も手放せない画材のひとつ。愛用しているのは鳥取で作られる厚手の和紙です。 原画を描いたあとはデジタルへと場を移し、パーツを組み合わせ、色のバランスを整えながら一枚の画面を完成させていきます。デジタル上でまず大きな一枚を仕上げ、そこからトリミングして完成に近づけるといいます。色の組み合わせや見えているバランスはとりわけ重要で、この工程にもっとも時間をかけます。何日か寝かせて、改めて客観的な目で見直す。この「間」が、作品の質を決める重要な工程だといいます。単純で普遍的な形の組み合わせが、その作品に独特のリズムをもたらしています。 サトウさん愛用の画材 二つの視点を持つということ 作家として表現に没頭する主観的な視点と、デザイナーとして場を客観的に捉える視点。この往来が、彼女にとってのリズムであり、指針でもあります。幼いころから感性を仕事にする人たちと接する機会が多かったこともあり、自分のアイデアや考えを単なる主観に留めず、求められる場面で的確に発信することを意識してきたといいます。その姿勢は、空間デザインや壁画、パッケージ、ロゴと多岐にわたる仕事へとつながり、国内外の大手企業からの依頼も数多く手がけています。 影響を受けた作り手として挙げるのは、エットレ・ソットサスと棟方志功。前者はプロダクトとアートの境界を軽やかに越えたデザイナーであり、後者は版画で独自の世界を切り拓いた作家です。この二人を並べるところに、彼女の制作の幅と、その根にあるものが見えるような気がします。 日常から受け取るもの インスピレーションの多くは、街を歩く時間からやってくるそうです。観光でも特別な場所でもなく、ただの日常の時間。そして秋から冬にかけての空気感は、感覚の基盤になっているといいます。植物のような有機的な静けさと大胆さが共存する作品の雰囲気は、こうした蓄積によって育まれています。 作品を手にする方へ ドローイングの揺らぎを楽しんでほしい、とサトウさんは言います。彼女の作品と長く付き合っているわたしが感じるのは、飾るほどに部屋になじみながら、それでいて存在を主張し続けるしなやかさと強さ。計算された思いっきりの良さが、意識を捉えて離しません。   サトウアサミさんの作品はこちら    

    作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

    画像はサトウさんのアトリエ 日常に溶け込みながら、それでいて気の利いた色と形でありたい。サトウアサミさんの作品には、そんな確かな意志が宿っています。比較的シンプルな形のはずなのに、どこか複雑な奥行きがある。それは、作家とデザイナーという二つの視点を意識的に行き来することで生まれる、サトウさんならではの緊張感なのだと思います。 作品との最初の出会い 制作を本格的に始めたのは、高校2年生のころ。美術科でデザインの基礎を学びながら、課題とは別に木版画の独学に打ち込みました。分野を分けずに取り組むその姿勢は、今の活動スタイルにも自然につながっています。 19歳のとき、木版画を中心とした展覧会を開催。そこで作品を見た方からイタリア料理店のロゴとサインのデザインを依頼されたことが、商業デザインへの最初の一歩となりました。"表現するための作品"と"使うための作品"。一見相反するように見えるこの二つが、実は同じ根を持つものだと体感したこの経験が、以来ずっと制作の根底に流れています。デザインと表現、どちらかに偏ることなく両方を手がけ続けているのは、その原点があるからかもしれません。 素材と制作のプロセス 現在の制作は、和紙×墨、あるいは洋紙×アクリル絵の具で原画を描くことから始まります。木版画の時代からの流れで、和紙と墨は今も手放せない画材のひとつ。愛用しているのは鳥取で作られる厚手の和紙です。 原画を描いたあとはデジタルへと場を移し、パーツを組み合わせ、色のバランスを整えながら一枚の画面を完成させていきます。デジタル上でまず大きな一枚を仕上げ、そこからトリミングして完成に近づけるといいます。色の組み合わせや見えているバランスはとりわけ重要で、この工程にもっとも時間をかけます。何日か寝かせて、改めて客観的な目で見直す。この「間」が、作品の質を決める重要な工程だといいます。単純で普遍的な形の組み合わせが、その作品に独特のリズムをもたらしています。 サトウさん愛用の画材 二つの視点を持つということ 作家として表現に没頭する主観的な視点と、デザイナーとして場を客観的に捉える視点。この往来が、彼女にとってのリズムであり、指針でもあります。幼いころから感性を仕事にする人たちと接する機会が多かったこともあり、自分のアイデアや考えを単なる主観に留めず、求められる場面で的確に発信することを意識してきたといいます。その姿勢は、空間デザインや壁画、パッケージ、ロゴと多岐にわたる仕事へとつながり、国内外の大手企業からの依頼も数多く手がけています。 影響を受けた作り手として挙げるのは、エットレ・ソットサスと棟方志功。前者はプロダクトとアートの境界を軽やかに越えたデザイナーであり、後者は版画で独自の世界を切り拓いた作家です。この二人を並べるところに、彼女の制作の幅と、その根にあるものが見えるような気がします。 日常から受け取るもの インスピレーションの多くは、街を歩く時間からやってくるそうです。観光でも特別な場所でもなく、ただの日常の時間。そして秋から冬にかけての空気感は、感覚の基盤になっているといいます。植物のような有機的な静けさと大胆さが共存する作品の雰囲気は、こうした蓄積によって育まれています。 作品を手にする方へ ドローイングの揺らぎを楽しんでほしい、とサトウさんは言います。彼女の作品と長く付き合っているわたしが感じるのは、飾るほどに部屋になじみながら、それでいて存在を主張し続けるしなやかさと強さ。計算された思いっきりの良さが、意識を捉えて離しません。   サトウアサミさんの作品はこちら    

  • 作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

    作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

    滝本優美さんの作品には、絵の具の確かな存在感がありながら、見ていて息が詰まらない。厚く盛られた色と白の絵の具が画面の中で均衡を探っていて、その張り合いが静かな緊張をつくっています。抑制された色づかいの中に、ところどころ差し込まれた強めの色が、画面を引き締める。わかりやすい派手さはないのに、目が離せない というのがわたしの第一印象でした。 外れなかった、ということ 滝本優美さんにとって絵を描(えが)くことは、「日常であり、自分を守るものでもあったから、やめる理由がなかった。画家でいることを選んだ、というより、画家で居続けることから外れなかった」という言い方が、正直な感覚だったのではないでしょうか。 「抽象に向かったのは、”描くこと”への違和感がきっかけでした。対象をうまく扱い描くことより、絵の具そのものに触れている時間の方が明らかに強かった。その気づきから、対象を手放し、"絵の具を描く"と言い切るようになりました。」その言葉は宣言というより、長い時間をかけてたどり着いた、自分の制作への正直な記述に聞こえます。 絵の具、キャンバス、自分 制作において一貫しているのも、この"絵の具を描く"という一点だと話してくれました。「絵の具の重たさや乾き、密度、蓄積。それをそのまま画面に置いていく。色や構図の着地を最初から決めることはほとんどなく、決めた瞬間に、そこに向かう作業になり、制作ではなくなる」からだと言います。 「絵の具、キャンバス、そして自分。この三者のやりとりから結果として残ったものを引き受ける方が"事実として信用できる"」——その言葉には、作り手としての誠実さがあります。「自分からのコントロールをしすぎないこと、その緊張状態を保ち続けること。それがいちばん難しくてやりがいがある」と滝本さんは話します。 滝本さん愛用のペインティングナイフ 密度と、白のあいだ 作品を見ていると、厚みがあるのに重くない、という印象を受けます。絵の具が盛り上がっているのに、画面に息がある。これは偶然ではなく、滝本さんは厚くのせた絵の具の密度と、白が塗られた部分の関係をかなり意識しているからです。「どちらかに寄るとすぐに説明的になる。そのぎりぎりを探り続けること。」密度と空白が拮抗しているからこそ、見る人の目が画面の中で自由に動ける。その緊張が、作品の呼吸をつくっているのだと思います。 わかった気にならないこと ”制作は、判断の精度を上げること”だと滝本さんは言います。「ごまかさずに、きちんと責任を取る。続ける上で意識しているのは、わかった気にならないこと。一度やり方が見えた瞬間に、それはもう弱くなるから」という言葉には、制作を惰性に任せない緊張感があります。 「うまくいったことより、崩れたときにどうやってよい絵にしていったかの経験が次につながる。」完成した作品の向こうに、無数の判断と失敗の蓄積がある。「インスピレーションより、制作中に起こる”少し気持ち悪い””なんとなく合っていない”という感覚を放置しないで拾うこと」その地道な往来が、滝本さんの制作の実態です。 作品とともに、時間を過ごす 「作品をどう見るかは完全に自由でいい」と滝本さんは言います。正しい見方はなく、向きを変えてもいい。ふとしたときに視界に入って、少しだけ感覚を揺らすような存在になれたらうれしい、と。 「絵画は静止しているように見えるが、実際にはかなり動的なモノの一瞬」そんな言葉も印象に残っています。作品は、時間や身体の感覚も含めて成り立っている。だからこそ、時間が経つにつれて見え方が変わっていくのなら、それは作品がきちんと“よい絵”であり続けている証なのかもしれません。 絵具の厚みやペインティングナイフの表現を特徴とする作家は他にもいます。けれど、小ぶりな画面のなかにも十分な密度があり、日本の住空間にもすっとなじむ静かな佇まいには、滝本さんならではの魅力が感じられます。見れば、滝本さんの作品だとわかる。そう思わせる確かな個性があります。 a good viewで滝本さんの作品と出会った方が、いつか実際にその油絵の前に立つ日が来たら・・ そんなことを想像しています。 滝本さんの作品はこちら  

    作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

    滝本優美さんの作品には、絵の具の確かな存在感がありながら、見ていて息が詰まらない。厚く盛られた色と白の絵の具が画面の中で均衡を探っていて、その張り合いが静かな緊張をつくっています。抑制された色づかいの中に、ところどころ差し込まれた強めの色が、画面を引き締める。わかりやすい派手さはないのに、目が離せない というのがわたしの第一印象でした。 外れなかった、ということ 滝本優美さんにとって絵を描(えが)くことは、「日常であり、自分を守るものでもあったから、やめる理由がなかった。画家でいることを選んだ、というより、画家で居続けることから外れなかった」という言い方が、正直な感覚だったのではないでしょうか。 「抽象に向かったのは、”描くこと”への違和感がきっかけでした。対象をうまく扱い描くことより、絵の具そのものに触れている時間の方が明らかに強かった。その気づきから、対象を手放し、"絵の具を描く"と言い切るようになりました。」その言葉は宣言というより、長い時間をかけてたどり着いた、自分の制作への正直な記述に聞こえます。 絵の具、キャンバス、自分 制作において一貫しているのも、この"絵の具を描く"という一点だと話してくれました。「絵の具の重たさや乾き、密度、蓄積。それをそのまま画面に置いていく。色や構図の着地を最初から決めることはほとんどなく、決めた瞬間に、そこに向かう作業になり、制作ではなくなる」からだと言います。 「絵の具、キャンバス、そして自分。この三者のやりとりから結果として残ったものを引き受ける方が"事実として信用できる"」——その言葉には、作り手としての誠実さがあります。「自分からのコントロールをしすぎないこと、その緊張状態を保ち続けること。それがいちばん難しくてやりがいがある」と滝本さんは話します。 滝本さん愛用のペインティングナイフ 密度と、白のあいだ 作品を見ていると、厚みがあるのに重くない、という印象を受けます。絵の具が盛り上がっているのに、画面に息がある。これは偶然ではなく、滝本さんは厚くのせた絵の具の密度と、白が塗られた部分の関係をかなり意識しているからです。「どちらかに寄るとすぐに説明的になる。そのぎりぎりを探り続けること。」密度と空白が拮抗しているからこそ、見る人の目が画面の中で自由に動ける。その緊張が、作品の呼吸をつくっているのだと思います。 わかった気にならないこと ”制作は、判断の精度を上げること”だと滝本さんは言います。「ごまかさずに、きちんと責任を取る。続ける上で意識しているのは、わかった気にならないこと。一度やり方が見えた瞬間に、それはもう弱くなるから」という言葉には、制作を惰性に任せない緊張感があります。 「うまくいったことより、崩れたときにどうやってよい絵にしていったかの経験が次につながる。」完成した作品の向こうに、無数の判断と失敗の蓄積がある。「インスピレーションより、制作中に起こる”少し気持ち悪い””なんとなく合っていない”という感覚を放置しないで拾うこと」その地道な往来が、滝本さんの制作の実態です。 作品とともに、時間を過ごす 「作品をどう見るかは完全に自由でいい」と滝本さんは言います。正しい見方はなく、向きを変えてもいい。ふとしたときに視界に入って、少しだけ感覚を揺らすような存在になれたらうれしい、と。 「絵画は静止しているように見えるが、実際にはかなり動的なモノの一瞬」そんな言葉も印象に残っています。作品は、時間や身体の感覚も含めて成り立っている。だからこそ、時間が経つにつれて見え方が変わっていくのなら、それは作品がきちんと“よい絵”であり続けている証なのかもしれません。 絵具の厚みやペインティングナイフの表現を特徴とする作家は他にもいます。けれど、小ぶりな画面のなかにも十分な密度があり、日本の住空間にもすっとなじむ静かな佇まいには、滝本さんならではの魅力が感じられます。見れば、滝本さんの作品だとわかる。そう思わせる確かな個性があります。 a good viewで滝本さんの作品と出会った方が、いつか実際にその油絵の前に立つ日が来たら・・ そんなことを想像しています。 滝本さんの作品はこちら  

  • 作家の深掘りコラム|色と線が出会う場所。エリザ・デフォッセ・菊地の仕事。

    作家の深掘りコラム|色と線が出会う場所。エリザ・デフォッセ・菊地の仕事。

    エリザさんの作品を初めて見たとき、「アートとデザインが、ごく自然に重なっている。」という感覚が先にきました。格子のような構造があるかと思えば、ゆるやかな曲線が同じ画面に収まっている。整理された論理と、そこからはみ出す手の痕跡が、同じ土台に共存している。 ベルギー生まれ、東京とヘルシンキを拠点に活動するエリザさんは、18歳で工業デザインに出会い、その後フィンランドのアールト大学でテキスタイルを学びました。「人の日常生活に関われる」。それがデザインへと向かう最初の動機でした。卒業後はエルメスでのデザイン部門を経て、2021年に自身のスタジオを設立。自身をアーティストよりデザイナーに近いと感じながら、絵もテキスタイルも空間もすべてをつなげながら制作するというスタンスは、その頃から変わっていません。 フィンランドが変えたもの 大きな転機はヘルシンキに住んだことだった、とエリザさんは言います。アールト大学でデザインを深く学んだのはもちろん、それ以上にフィンランドの文化と生活が自分を変えたと。日常の中で自然が身近にある感覚が、今もインスピレーションの根っこにあるそうです。 大自然でなくてもいい。道端の落ち葉、タンポポ、苔——そういった日常の小さな自然を「観る」ことが、作品の出発点になっています。アイデアが生まれる瞬間を聞くと、「散歩しているとき」という答えが返ってきました。時間があれば寄り道しながら帰る。あまり計画しない、迷子になるくらいの旅の方が素敵な出会いがある。そういう姿勢が、制作にもそのまま通じています。 エリザさんが歩いたフィンランドの散歩コース 構造と、はみ出すもの 作品を見ていると、その感覚がよく伝わってきます。細い線が格子状に積み重なった作品では、区画ごとに色がそっと変わる。鉛筆で引いたような線は微妙にゆれていて、規則的なのに、息をしているように見えます。石のかたちを思わせる有機的なシルエットが整然と並ぶ作品では、形が揃いすぎず、でも散漫にもなっていない。あの「ちょうどいい不均一さ」は、偶然ではないはずです。 「計画された構造の上に、コントロールされない部分が共存する関係は、自然と人間の関係によく似ている」とエリザさんは言います。線はいつも手書きで、少しだけ歪んでいる。その歪みに温もりを感じている、と。 色日記のこと 色のつくり方にも、一貫したこだわりがあります。アクリルで落とし込んだ自作の色チップを「色日記」としてアーカイブし続け、その色を制作の指示に使うそうです。微妙な「間の色」が好き、という言葉どおり、実際の作品の色はそういう色をしています。言い切れないやわらかさ、どこか馴染みのある新しさ。グレーともベージュとも言い切れない色、くすんでいるのに透明感がある緑。自分でつくらなければ出てこない色です。 坂本龍一と、落ち着いたマインドセット 影響を受けたアーティストを尋ねると、音楽家の坂本龍一さんの名前が挙がりました。コンセプト、考え方、世界観にいつも感動し続けている、と話してくれました。ご両親が音楽関係の仕事をされていたこともあり、音楽はもともと身近だったそうです。 制作に向き合うときに大切にしていることは、落ち着いたマインドセットでいること。続けられる理由は、単純に楽しいから。絵を描き、デザインを考え、実現させること、そして様々な人と関わりながらものづくりをすること——それがかけがえのない時間だと言います。 エリザさんのアトリエ 暮らしの中の、密かな存在として 飾ったポスターが「暮らしの中で密かな存在として、優しい支えになれたら」とエリザさんは話してくれました。ふとアートピースを見る瞬間に、心が少しだけ落ち着くきっかけになれたら、と。自分にとっての「いいな」と思える瞬間を、見てくれた人にも見つけてほしい —— エリザさんはそう話してくれました。 エリザさんの作品はこちら  

    作家の深掘りコラム|色と線が出会う場所。エリザ・デフォッセ・菊地の仕事。

    エリザさんの作品を初めて見たとき、「アートとデザインが、ごく自然に重なっている。」という感覚が先にきました。格子のような構造があるかと思えば、ゆるやかな曲線が同じ画面に収まっている。整理された論理と、そこからはみ出す手の痕跡が、同じ土台に共存している。 ベルギー生まれ、東京とヘルシンキを拠点に活動するエリザさんは、18歳で工業デザインに出会い、その後フィンランドのアールト大学でテキスタイルを学びました。「人の日常生活に関われる」。それがデザインへと向かう最初の動機でした。卒業後はエルメスでのデザイン部門を経て、2021年に自身のスタジオを設立。自身をアーティストよりデザイナーに近いと感じながら、絵もテキスタイルも空間もすべてをつなげながら制作するというスタンスは、その頃から変わっていません。 フィンランドが変えたもの 大きな転機はヘルシンキに住んだことだった、とエリザさんは言います。アールト大学でデザインを深く学んだのはもちろん、それ以上にフィンランドの文化と生活が自分を変えたと。日常の中で自然が身近にある感覚が、今もインスピレーションの根っこにあるそうです。 大自然でなくてもいい。道端の落ち葉、タンポポ、苔——そういった日常の小さな自然を「観る」ことが、作品の出発点になっています。アイデアが生まれる瞬間を聞くと、「散歩しているとき」という答えが返ってきました。時間があれば寄り道しながら帰る。あまり計画しない、迷子になるくらいの旅の方が素敵な出会いがある。そういう姿勢が、制作にもそのまま通じています。 エリザさんが歩いたフィンランドの散歩コース 構造と、はみ出すもの 作品を見ていると、その感覚がよく伝わってきます。細い線が格子状に積み重なった作品では、区画ごとに色がそっと変わる。鉛筆で引いたような線は微妙にゆれていて、規則的なのに、息をしているように見えます。石のかたちを思わせる有機的なシルエットが整然と並ぶ作品では、形が揃いすぎず、でも散漫にもなっていない。あの「ちょうどいい不均一さ」は、偶然ではないはずです。 「計画された構造の上に、コントロールされない部分が共存する関係は、自然と人間の関係によく似ている」とエリザさんは言います。線はいつも手書きで、少しだけ歪んでいる。その歪みに温もりを感じている、と。 色日記のこと 色のつくり方にも、一貫したこだわりがあります。アクリルで落とし込んだ自作の色チップを「色日記」としてアーカイブし続け、その色を制作の指示に使うそうです。微妙な「間の色」が好き、という言葉どおり、実際の作品の色はそういう色をしています。言い切れないやわらかさ、どこか馴染みのある新しさ。グレーともベージュとも言い切れない色、くすんでいるのに透明感がある緑。自分でつくらなければ出てこない色です。 坂本龍一と、落ち着いたマインドセット 影響を受けたアーティストを尋ねると、音楽家の坂本龍一さんの名前が挙がりました。コンセプト、考え方、世界観にいつも感動し続けている、と話してくれました。ご両親が音楽関係の仕事をされていたこともあり、音楽はもともと身近だったそうです。 制作に向き合うときに大切にしていることは、落ち着いたマインドセットでいること。続けられる理由は、単純に楽しいから。絵を描き、デザインを考え、実現させること、そして様々な人と関わりながらものづくりをすること——それがかけがえのない時間だと言います。 エリザさんのアトリエ 暮らしの中の、密かな存在として 飾ったポスターが「暮らしの中で密かな存在として、優しい支えになれたら」とエリザさんは話してくれました。ふとアートピースを見る瞬間に、心が少しだけ落ち着くきっかけになれたら、と。自分にとっての「いいな」と思える瞬間を、見てくれた人にも見つけてほしい —— エリザさんはそう話してくれました。 エリザさんの作品はこちら  

  • 作家の深掘りコラム|境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

    作家の深掘りコラム|境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

    抽象画には、言葉より先に届くものがあります。何が描かれているかを説明する前に、空気や気配のようなものが立ち上がってくる。タンジサトミさんの作品も、まさにそういう絵です。 やわらかな色の重なり。流れるような曲線。にじみや揺らぎをそのまま抱え込んだような表情。きっぱりと何かを断言する強さというより、異なるもの同士を受け入れながら整えていく力がある。混沌や陰の気配も知ったうえで、それでもなお光のほうへ目を向けようとする——そんな姿勢が、作品全体に通底しています。   抽象画との出会いが、眠っていた感覚を呼び起こした タンジさんが創作活動を本格的に始めたのは2019年。現在はフルイドアート(絵の具を液状にして、キャンバスに流したり傾けたりしながら描く技法)を中心に制作されていますが、それ以前の歩みも印象的です。新卒で外資系航空会社のCAとして働き、その後はフリーランスの字幕翻訳者として活動。いまの表現には、そうした仕事を通して触れてきた海外の空気や、異国の文化の記憶が生きているといいます。 もともと幼い頃からものづくりが好きで、将来はクリエイティブなことに関わりたいという思いもあった。けれど大人になるにつれ、その感覚はいったん奥へしまわれていった。 転機は、自宅に飾る抽象画が欲しくて、自分で描いてみたことでした。やってみると、その面白さに一気に引き込まれた。しかも始めて間もない時期に大阪の公募展で賞を受けたことで、「作家としてやっていきたい」という意識がはっきりと形になっていったそうです。   タンジさんのアルコールインクを使った作品   海を越えて届いたことが、表現への確信になった 活動の中で大きな転機となったのが、2021年に台湾で開催した初の海外個展でした。コロナ禍という難しい時期での開催でしたが、作品は完売。ご本人にとっても「奇跡を見ているようだった」と感じられる出来事だったといいます。 言葉が通じなくても、絵は届く。国境を越えても、自分の伝えたいものは伝わる——そう実感できたことは、タンジさんの作品に通底する「国や人種、文化にとらわれない調和」の感覚を、より確かなものにしたはずです。 抽象画は、具体的なモチーフを持たないぶん、受け手に委ねられる部分が大きい表現です。だからこそ、文化的背景の違う人にも届きうる。その可能性を、自身の体験によって確かめた作家です。   素材を選び、偶然を受け入れる タンジさんが意識しているのは「調和の世界」、そしてそのなかに光を感じさせることです。自然へのリスペクト、陰陽のバランス、明るさだけでなく陰りや揺らぎも排除しないこと。そのうえでなお希望を見出そうとする視点が、作品の根底にあります。 素材への意識も鋭く、箔なら24Kゴールド、レジンも高品質なものを選ぶ。ニュアンスカラーや淡い色がきれいに出る素材を見極めて使っているそうです。抽象画は自由な表現と思われがちですが、素材選びによって透明感や奥行きは大きく変わる。その細部への目配りが、作品の品質を支えています。 一方、制作姿勢そのものはとても開かれています。頭を空っぽにして、コントロールしすぎず、自然に出来上がるものを大切にする。テクスチャを重ね、偶然生まれた効果を活かしながら制作を進めていく。色と動きが画面いっぱいに広がり、そこへ箔のアクセントが光を呼び込む。自然界にあるような色の選択も含め、素材や流れと協働するような姿勢が、作品の透明感と奥行きを支えています。   光をイメージさせるために使われるゴールドの箔   旅の記憶と、静かな集中が作品を育てる 制作は自宅の一室をアトリエに、午前の早い時間帯を中心に行っているそうです。頭がすっきりしているうちに集中的に進め、生活習慣を整え、一人の時間を大切にする。そのあり方は、そのまま作品にも表れているように感じます。何かを足して強くするのではなく、ノイズを減らして感覚が入りやすい状態を保つ。その上で、自分の内側に入ってきたものをすくい上げる。 インスピレーションの源として挙げられるのは、旅行先の街並み、古い建築物、ヨーロッパで見た歴史的建造物や教会など。土地や建物が抱えてきた深さへのまなざしが、作品に漂うどこか神秘的な気配を生んでいるのだと思います。   暮らしの中で、さりげなく効いてくる絵 タンジさんは、ご自身の作品が「癒される感覚」や「心が少し軽くなる感覚」につながればと語っています。混沌とした世の中のなかで、見る人の内側の何かに共鳴すること。そこに自然と共生していく意識まで重ねようとしているところに、この作家ならではのスケールを感じます。 同時に、作品が暮らしの中でどうあってほしいかという視点は具体的です。家のインテリアやライトに馴染み、さりげなく存在し、そこにあることで空間が少し変わる。強く主張しすぎず、けれど確かに場の空気を整える。 見るたびに何かをはっきり説明してくれる絵ではないかもしれません。けれど、ふとしたときに心の位置を整えてくれる。タンジサトミさんの抽象画は、そんなふうに長く一緒にいられる作品です。...

    作家の深掘りコラム|境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

    抽象画には、言葉より先に届くものがあります。何が描かれているかを説明する前に、空気や気配のようなものが立ち上がってくる。タンジサトミさんの作品も、まさにそういう絵です。 やわらかな色の重なり。流れるような曲線。にじみや揺らぎをそのまま抱え込んだような表情。きっぱりと何かを断言する強さというより、異なるもの同士を受け入れながら整えていく力がある。混沌や陰の気配も知ったうえで、それでもなお光のほうへ目を向けようとする——そんな姿勢が、作品全体に通底しています。   抽象画との出会いが、眠っていた感覚を呼び起こした タンジさんが創作活動を本格的に始めたのは2019年。現在はフルイドアート(絵の具を液状にして、キャンバスに流したり傾けたりしながら描く技法)を中心に制作されていますが、それ以前の歩みも印象的です。新卒で外資系航空会社のCAとして働き、その後はフリーランスの字幕翻訳者として活動。いまの表現には、そうした仕事を通して触れてきた海外の空気や、異国の文化の記憶が生きているといいます。 もともと幼い頃からものづくりが好きで、将来はクリエイティブなことに関わりたいという思いもあった。けれど大人になるにつれ、その感覚はいったん奥へしまわれていった。 転機は、自宅に飾る抽象画が欲しくて、自分で描いてみたことでした。やってみると、その面白さに一気に引き込まれた。しかも始めて間もない時期に大阪の公募展で賞を受けたことで、「作家としてやっていきたい」という意識がはっきりと形になっていったそうです。   タンジさんのアルコールインクを使った作品   海を越えて届いたことが、表現への確信になった 活動の中で大きな転機となったのが、2021年に台湾で開催した初の海外個展でした。コロナ禍という難しい時期での開催でしたが、作品は完売。ご本人にとっても「奇跡を見ているようだった」と感じられる出来事だったといいます。 言葉が通じなくても、絵は届く。国境を越えても、自分の伝えたいものは伝わる——そう実感できたことは、タンジさんの作品に通底する「国や人種、文化にとらわれない調和」の感覚を、より確かなものにしたはずです。 抽象画は、具体的なモチーフを持たないぶん、受け手に委ねられる部分が大きい表現です。だからこそ、文化的背景の違う人にも届きうる。その可能性を、自身の体験によって確かめた作家です。   素材を選び、偶然を受け入れる タンジさんが意識しているのは「調和の世界」、そしてそのなかに光を感じさせることです。自然へのリスペクト、陰陽のバランス、明るさだけでなく陰りや揺らぎも排除しないこと。そのうえでなお希望を見出そうとする視点が、作品の根底にあります。 素材への意識も鋭く、箔なら24Kゴールド、レジンも高品質なものを選ぶ。ニュアンスカラーや淡い色がきれいに出る素材を見極めて使っているそうです。抽象画は自由な表現と思われがちですが、素材選びによって透明感や奥行きは大きく変わる。その細部への目配りが、作品の品質を支えています。 一方、制作姿勢そのものはとても開かれています。頭を空っぽにして、コントロールしすぎず、自然に出来上がるものを大切にする。テクスチャを重ね、偶然生まれた効果を活かしながら制作を進めていく。色と動きが画面いっぱいに広がり、そこへ箔のアクセントが光を呼び込む。自然界にあるような色の選択も含め、素材や流れと協働するような姿勢が、作品の透明感と奥行きを支えています。   光をイメージさせるために使われるゴールドの箔   旅の記憶と、静かな集中が作品を育てる 制作は自宅の一室をアトリエに、午前の早い時間帯を中心に行っているそうです。頭がすっきりしているうちに集中的に進め、生活習慣を整え、一人の時間を大切にする。そのあり方は、そのまま作品にも表れているように感じます。何かを足して強くするのではなく、ノイズを減らして感覚が入りやすい状態を保つ。その上で、自分の内側に入ってきたものをすくい上げる。 インスピレーションの源として挙げられるのは、旅行先の街並み、古い建築物、ヨーロッパで見た歴史的建造物や教会など。土地や建物が抱えてきた深さへのまなざしが、作品に漂うどこか神秘的な気配を生んでいるのだと思います。   暮らしの中で、さりげなく効いてくる絵 タンジさんは、ご自身の作品が「癒される感覚」や「心が少し軽くなる感覚」につながればと語っています。混沌とした世の中のなかで、見る人の内側の何かに共鳴すること。そこに自然と共生していく意識まで重ねようとしているところに、この作家ならではのスケールを感じます。 同時に、作品が暮らしの中でどうあってほしいかという視点は具体的です。家のインテリアやライトに馴染み、さりげなく存在し、そこにあることで空間が少し変わる。強く主張しすぎず、けれど確かに場の空気を整える。 見るたびに何かをはっきり説明してくれる絵ではないかもしれません。けれど、ふとしたときに心の位置を整えてくれる。タンジサトミさんの抽象画は、そんなふうに長く一緒にいられる作品です。...

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