米津祐介さんの絵を前にすると、描かれているのは動物や道具、果物や花といった、ごくありふれたもののはずなのに、見る人の心がふと立ち止まり、考え始めるような静けさを感じます。
線はかすかに揺れ、色はわずかににじむ。そのささやかな不均衡が、手のぬくもりと描く時間の積み重ねを感じさせ、心にやさしい余白を残していくのです。
例えば、描かれた動物たちは穏やかに佇み、笑っているようでも泣いているようでもない。けれど、その沈黙の中に、私たちはなにか人間的な感情の気配を見出します。
米津さんの絵は、語りかけるのではなく、見つめ返す。
見る人がその眼差しに気づくとき、絵はひとつの対話を始めるのです。
はじまりは偶然の一枚から
1982年、東京生まれ。東海大学でデザインを学んだ米津さんは、もともと婦人靴の製造業を営むお父さまの背中を見て育ち、「将来、何か役に立てれば」と思いデザインの道に進みました。
大学時代、友人の家で「イラストを描いてみよう」と誘われたことがきっかけで絵を描き始めたといいます。
漫画の模写はできても、オリジナルの絵になると何を描いていいかわからなかった。
しかし、友人と描いた絵を見せ合ううちにその面白さに惹かれ、アートイベントに出展して一般の人に絵を見てもらうようになりました。
その頃、初めて「イラストレーター」という職業を知り、目指すようになったそうです。
やがて展示会で「絵本のようですね」と声をかけられたことをきっかけに、試しに絵本を制作し、コンペに応募。賞は取れなかったものの審査を通過し、絵本という表現への手応えを感じたとおっしゃっていました。
転機となったボローニャ入選
2004年に大学を卒業し、アルバイトをしながら作品づくりを続けていた米津さん。
翌2005年、世界最大級の絵本原画コンクール『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』で入選します。世界中の絵本作家が憧れるこのコンクールには、毎年80か国以上から数千人の応募者と数万点の作品が寄せられ、その中から選ばれるのはほんのひと握り。米津さんにとって、それは初めて自分の絵が世界の舞台に届いた瞬間でもありました。
この選出をきっかけに世界各国の出版社が集まるボローニャ・ブックフェアへ直接出向き、自ら作品を売り込みました。その場でスイスの出版社と出会い、絵本『Bye-Bye Binky』の出版が決定。
この作品は最初に英語とドイツ語、フランス語で刊行され、グローバル展開の足掛かりとなりました。
以降、作品はヨーロッパ、アメリカ、アジアなどで翻訳出版され、日本発の絵本作家として国際的に知られる存在となっていきます。

世界中で出版されている米津さんの絵本
クレパスとの出会い
米津さんの絵を特徴づけるのが、やわらかくも深みのあるクレパスの表現です。子どもが描くような自由さに憧れながらも、自身の几帳面な性格がそれを阻んでいたといいます。そんな中で出会ったのがクレパスでした。
「クレパスは、まっすぐ綺麗な線が描けない。どうしても歪んだり、太さが変わったりする。でも、そこに自然な味が生まれるんです。」
細密な表現が難しいぶん、偶然や制限が生む“思い通りにならなさ”が、逆に自分に合っていたと語ります。アクリル絵の具と違って準備の手間も少なく、「描きたいと思ったときにすぐ描ける」ことも魅力のひとつ。その制限と即興性が、米津さん独特のあたたかく奥行きのあるタッチを生み出しています。

米津さん愛用のクレパス
世界に届くやさしさ
絵本作家としての代表作『はんぶんこ!』(講談社)は、“分け合う”というテーマを、
穴あきやめくりのしかけで体験できる構造に仕上げた作品です。
英語版『Sharing』は、アメリカの書評誌 「Kirkus Reviews」 において
2020年の Best Board Book of the Year(年間最優秀ボードブック) に選ばれました。
レビューでは、
“Sharing is caring — this small gem of a board book is a delight to share with little listeners.”
「“分け合うことは思いやること”──この小さな宝石のような絵本は、子どもたちと一緒に読む喜びをもたらしてくれる」と評されています。
「Kirkus Reviews」は、米国の児童書・出版界で最も影響力のある批評誌の一つであり、「Best Book of the Year」への選出は、英語圏で刊行された絵本にとって極めて名誉ある評価です。
米津さんはこの絵本を、“おもちゃのように楽しんでもらいたい”という願いを込めて制作されたそうです。
暮らしと創作のリズム
現在は長野県を拠点に活動し、自然の光や空気に包まれながら制作を続けています。
「自然が近くにあることで、気持ちが穏やかになった」と語る米津さん。
ご家族と過ごす穏やかな日々の中で生まれる時間が、作品に落ち着いたトーンと余白をもたらし、絵に宿るやさしさを静かに育んでいるのではないでしょうか。
そして、実際にお会いしたとき、その印象は作品の世界そのままの方でした。
旅行の予定があるので、その際にご挨拶に伺いたいとお伝えしたところ、
「東京に行くときに自分がお伺いします。折角のご旅行ですから、ぜひ楽しんでください」とおっしゃり、わざわざご来社くださったのです。
著名な作家でありながら、気取らず、誠実で穏やか。その姿勢は、作品に漂う静けさと深く重なります。

米津さんのアトリエ
描くことの本質
米津さんの絵には、完成された形を追うよりも、感じたことをそのまま描こうとする誠実さがあります。
絵とことば、画面の質感と見る人の感情が、穏やかに響き合うように構成された世界。
そこには、“美しく描く”よりも“まっすぐに伝える”ことへの強い意志が感じられます。
米津祐介さんの絵は、やさしい表情の中に思考を宿し、見る人の心にぬくもりをもたらしてくれるのです。