画像は、動物と植物の両方が描かれた青山佳世さんの『LEMON AND FIELD PEAS』です。
当店でも、動物や植物を描いた作品はよく選ばれます。飾る方の暮らし方や好みはそれぞれ違うはずなのに、不思議とこの二つのモチーフには、いつも人が集まってくるように感じます。
もちろん、当店のポスターが小ぶりで、部屋に取り入れやすいことも理由のひとつだと思います。壁の一等地を大きく占めないぶん、試しやすい。季節で入れ替えやすい。複数枚を並べて、壁にリズムをつくりやすい。そういう「入口の軽さ」が、最初の一枚を後押ししているのは確かです。
けれど、それだけでは説明しきれないものがあります。
同じ小ぶりなポスターでも、動物や植物の絵には、ほかのモチーフとは違う近づきやすさがあるように思います。抽象画には抽象画の魅力があり、風景画には風景画の広がりがあります。けれど、花や鳥や動物は、見る人に知識を求めすぎない。まず「そこにいる」「そこに咲いている」という感覚で受け取れる。だから、飾る前の迷いを少しやわらげてくれるのではないでしょうか。
では、なぜ私たちは動物や植物の絵に惹かれるのでしょうか。
目が止まる、心がほどける
動物の絵は、まず目が止まります。
鳥、猫、犬、鹿、リス。描かれ方はさまざまでも、動物がいるだけで、絵の中に小さな気配が生まれます。こちらを見ているように感じることもあれば、こちらには気づかず、ただそこに佇んでいるように見えることもある。その距離感が、部屋の中にちょっとした親しみを連れてきてくれます。
人の顔が描かれた絵は、飾る場所によっては少し強く感じられることがあります。けれど動物の場合は、視線があっても圧が出にくい。かわいらしさだけでなく、少しとぼけた感じ、静かに寄り添う感じ、自由に動き回っている感じ。そうした受け取り方の幅が、暮らしの中に入りやすくしているのだと思います。

アドさんの作品「いえにいるシロネコ」
一方で植物は、もう少し穏やかな効き方をします。
花や枝葉は、強く主張しすぎないのに、室内の直線や硬さをそっと和らげてくれます。家具や壁、窓枠、棚。家の中にはまっすぐな線が多いものです。そこに葉の曲線や花の形が入ると、空間の表情が少しやわらぐ。実際の植物を置くのとは違って、水やりも日当たりも必要ありません。それでも、自然に近いものが視界に入ることで、部屋の印象は変わります。

一栁さんの作品「COREOPSIS(コレオプシス)」
自然や生きものに惹かれる人間の傾向については、「バイオフィリア」という考え方があります。人には自然や生命とのつながりを求める傾向がある、という見方です。もちろん、絵を一枚飾っただけで暮らしが劇的に変わるという話ではありません。ただ、動物や植物の絵を見たときに、多くの人がどこか安心したり、近づきやすさを感じたりする背景には、こうした感覚も関係しているのかもしれません。
ここで大切なのは、絵が「役に立つ」という話ではありません。
絵は、便利な道具ではありません。けれど、日々の中でふと視界に入ったとき、気持ちを少し切り替えてくれることがあります。動物は親密さを、植物は呼吸の余白を。どちらも説明を押しつけずに、部屋に馴染んでくれる。だから選ばれやすいのだと思います。
これは日本だけの現象?
結論から言えば、この傾向は日本だけのものではありません。自然のモチーフが好まれやすい傾向は、文化を越えてある程度共通しているようです。
ただし、同じ自然でも「読み方」は同じではありません。ここが面白いところです。
日本では、自然はしばしば季節や移ろいと結びついて語られてきました。花鳥風月や雪月花という言葉が象徴するように、自然は単なる対象ではなく、時間の流れを運ぶものでもあります。桜は花であると同時に、春の短さを思わせるもの。月は風景の一部であると同時に、見上げる人の心を映すもの。鳥の声や草花の変化にも、季節の気配を読み取ってきました。
日本の美意識には、移ろいやはかなさ、過ぎていくものへの共感を大切にする感受性が根づいています。自然の美しさは、ただ鮮やかであることだけではなく、そこに時間の揺らぎがあることによって、より深く受け止められてきた。この流れで考えると、植物画の魅力は「花が描かれている」こと以上に、花のまわりにある空気にあります。咲き誇る瞬間だけでなく、咲き始めや散り際に心が動く。鳥もまた、物語の主人公というより、季節の音や風景の一部として置かれることがある。自然が、部屋の中にやわらかな奥行きをつくってくれるのです。
いっぽうヨーロッパの美術では、自然物が象徴や生活文化と結びついて解釈されてきた文脈があります。
たとえば、17世紀のオランダ・フランドル絵画に見られる静物画です。花や果物、器、獲物、貝殻、楽器などが、非常に細密に描かれてきました。それらは単に「きれいなもの」として並べられたのではなく、富や教養、交易、時間、死生観などを示すことがありました。花は美しさと同時に、やがて枯れていくものでもある。果実は豊かさを表す一方で、熟しすぎれば傷んでいく。自然物は、暮らしの豊かさと、時間の限りを同時に語るモチーフでもあったのです。
同じ自然でも、日本では移ろいの中に溶けていくものとして、ヨーロッパの美術では象徴として立ち上がるものとして受け取られやすい。これはあくまでひとつの見方ですが、そう考えると、動物や植物の絵を部屋に飾る行為にも、文化ごとの違いが見えてきます。
日本の部屋に動物や植物の絵が馴染みやすいのは、自然を「眺めるもの」としてだけでなく、季節や気分とともに受け取る感覚があるからかもしれません。ヨーロッパの室内装飾に自然モチーフが深く馴染んできたのは、暮らしの歴史や装飾文化の中で、自然物が長く意味を持ってきたからかもしれません。
小さな一枚が、自然の入口になる
ここまで考えると、当店の小ぶりなサイズも、少し違って見えてきます。
小ぶりだから選ばれる、というだけではない。動物や植物がもともと持っている受け取りやすさに、小さなサイズがちょうど重なっている。だから、飾ることがまだ習慣になっていない人にも、すっと届くのだと思います。
大きな作品には、空間の印象を一気に変える力があります。一方で、小さな作品には、暮らしの中に自然に入り込む良さがあります。棚の上に立てかける。デスクの近くに置く。玄関に一枚飾る。季節に合わせて入れ替える。いくつか並べて、好きなモチーフの小さな庭のように楽しむ。そうした軽やかさは、小さなポスターならではの魅力です。
忙しい日々の中で、絵に求めるのは大きな主張ではなく、ふと整う感じだったりします。動物のたたずまいに救われる日もある。植物のやさしさに助けられる日もある。絵の中の鳥や花が、現実の暮らしを直接変えるわけではありません。それでも、目に入るたびに少しだけ気持ちの向きが変わる。部屋の空気が、ほんの少しやわらかくなる。
その入口として、動物と植物はとても強いモチーフなのだと思います。身近で受け取りやすいのに、見方を深めていくと、文化や時代ごとの自然観にもつながっていく。そこに、このモチーフの奥行きがあるのかもしれません。
岡理恵子さんの『バードガーデン』のように、鳥と植物が同じ画面に描かれている作品には、その両方の魅力があります。生きものの親しみと、植物の穏やかさ。どちらか一方ではなく、二つが重なることで、部屋の中に小さな自然の場が生まれる。
だから私たちは、動物や植物の絵に惹かれるのかもしれません。
それは、いちばん身近なアートの入口のひとつです。そして同時に、国や時代を越えて人が自然に向けてきたまなざしとも、どこかでつながっているのだと思います。
出典
Britannica「Biophilia hypothesis」
Britannica「Aesthetics - Japanese Art, Culture, Philosophy」
The Metropolitan Museum of Art「Still-Life Painting in Northern Europe, 1600–1800」
Guggenheim Museum Bilbao「Still Life」