作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

滝本優美さんの作品には、絵の具の確かな存在感がありながら、見ていて息が詰まらない。厚く盛られた色と白の絵の具が画面の中で均衡を探っていて、その張り合いが静かな緊張をつくっています。抑制された色づかいの中に、ところどころ差し込まれた強めの色が、画面を引き締める。わかりやすい派手さはないのに、目が離せない というのがわたしの第一印象でした。


外れなかった、ということ

滝本優美さんにとって絵を描(えが)くことは、「日常であり、自分を守るものでもあったから、やめる理由がなかった。画家でいることを選んだ、というより、画家で居続けることから外れなかった」という言い方が、正直な感覚だったのではないでしょうか。
「抽象に向かったのは、”描くこと”への違和感がきっかけでした。対象をうまく扱い描くことより、絵の具そのものに触れている時間の方が明らかに強かった。その気づきから、対象を手放し、"絵の具を描く"と言い切るようになりました。」その言葉は宣言というより、長い時間をかけてたどり着いた、自分の制作への正直な記述に聞こえます。


絵の具、キャンバス、自分

制作において一貫しているのも、この"絵の具を描く"という一点だと話してくれました。「絵の具の重たさや乾き、密度、蓄積。それをそのまま画面に置いていく。色や構図の着地を最初から決めることはほとんどなく、決めた瞬間に、そこに向かう作業になり、制作ではなくなる」からだと言います。
「絵の具、キャンバス、そして自分。この三者のやりとりから結果として残ったものを引き受ける方が"事実として信用できる"」——その言葉には、作り手としての誠実さがあります。「自分からのコントロールをしすぎないこと、その緊張状態を保ち続けること。それがいちばん難しくてやりがいがある」と滝本さんは話します。


滝本さん愛用のペインティングナイフ


密度と、白のあいだ

作品を見ていると、厚みがあるのに重くない、という印象を受けます。絵の具が盛り上がっているのに、画面に息がある。これは偶然ではなく、滝本さんは厚くのせた絵の具の密度と、白が塗られた部分の関係をかなり意識しているからです。「どちらかに寄るとすぐに説明的になる。そのぎりぎりを探り続けること。」密度と空白が拮抗しているからこそ、見る人の目が画面の中で自由に動ける。その緊張が、作品の呼吸をつくっているのだと思います。




わかった気にならないこと

”制作は、判断の精度を上げること”だと滝本さんは言います。「ごまかさずに、きちんと責任を取る。続ける上で意識しているのは、わかった気にならないこと。一度やり方が見えた瞬間に、それはもう弱くなるから」という言葉には、制作を惰性に任せない緊張感があります。
「うまくいったことより、崩れたときにどうやってよい絵にしていったかの経験が次につながる。」完成した作品の向こうに、無数の判断と失敗の蓄積がある。「インスピレーションより、制作中に起こる”少し気持ち悪い””なんとなく合っていない”という感覚を放置しないで拾うこと」その地道な往来が、滝本さんの制作の実態です。


作品とともに、時間を過ごす

「作品をどう見るかは完全に自由でいい」と滝本さんは言います。正しい見方はなく、向きを変えてもいい。ふとしたときに視界に入って、少しだけ感覚を揺らすような存在になれたらうれしい、と。

「絵画は静止しているように見えるが、実際にはかなり動的なモノの一瞬」そんな言葉も印象に残っています。作品は、時間や身体の感覚も含めて成り立っている。だからこそ、時間が経つにつれて見え方が変わっていくのなら、それは作品がきちんと“よい絵”であり続けている証なのかもしれません。

絵具の厚みやペインティングナイフの表現を特徴とする作家は他にもいます。けれど、小ぶりな画面のなかにも十分な密度があり、日本の住空間にもすっとなじむ静かな佇まいには、滝本さんならではの魅力が感じられます。見れば、滝本さんの作品だとわかる。そう思わせる確かな個性があります。

a good viewで滝本さんの作品と出会った方が、いつか実際にその油絵の前に立つ日が来たら・・ そんなことを想像しています。


滝本さんの作品はこちら


 

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