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作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

画像はサトウさんのアトリエ 日常に溶け込みながら、それでいて気の利いた色と形でありたい。サトウアサミさんの作品には、そんな確かな意志が宿っています。比較的シンプルな形のはずなのに、どこか複雑な奥行きがある。それは、作家とデザイナーという二つの視点を意識的に行き来することで生まれる、サトウさんならではの緊張感なのだと思います。 作品との最初の出会い 制作を本格的に始めたのは、高校2年生のころ。美術科でデザインの基礎を学びながら、課題とは別に木版画の独学に打ち込みました。分野を分けずに取り組むその姿勢は、今の活動スタイルにも自然につながっています。 19歳のとき、木版画を中心とした展覧会を開催。そこで作品を見た方からイタリア料理店のロゴとサインのデザインを依頼されたことが、商業デザインへの最初の一歩となりました。"表現するための作品"と"使うための作品"。一見相反するように見えるこの二つが、実は同じ根を持つものだと体感したこの経験が、以来ずっと制作の根底に流れています。デザインと表現、どちらかに偏ることなく両方を手がけ続けているのは、その原点があるからかもしれません。 素材と制作のプロセス 現在の制作は、和紙×墨、あるいは洋紙×アクリル絵の具で原画を描くことから始まります。木版画の時代からの流れで、和紙と墨は今も手放せない画材のひとつ。愛用しているのは鳥取で作られる厚手の和紙です。 原画を描いたあとはデジタルへと場を移し、パーツを組み合わせ、色のバランスを整えながら一枚の画面を完成させていきます。デジタル上でまず大きな一枚を仕上げ、そこからトリミングして完成に近づけるといいます。色の組み合わせや見えているバランスはとりわけ重要で、この工程にもっとも時間をかけます。何日か寝かせて、改めて客観的な目で見直す。この「間」が、作品の質を決める重要な工程だといいます。単純で普遍的な形の組み合わせが、その作品に独特のリズムをもたらしています。 サトウさん愛用の画材 二つの視点を持つということ 作家として表現に没頭する主観的な視点と、デザイナーとして場を客観的に捉える視点。この往来が、彼女にとってのリズムであり、指針でもあります。幼いころから感性を仕事にする人たちと接する機会が多かったこともあり、自分のアイデアや考えを単なる主観に留めず、求められる場面で的確に発信することを意識してきたといいます。その姿勢は、空間デザインや壁画、パッケージ、ロゴと多岐にわたる仕事へとつながり、国内外の大手企業からの依頼も数多く手がけています。 影響を受けた作り手として挙げるのは、エットレ・ソットサスと棟方志功。前者はプロダクトとアートの境界を軽やかに越えたデザイナーであり、後者は版画で独自の世界を切り拓いた作家です。この二人を並べるところに、彼女の制作の幅と、その根にあるものが見えるような気がします。 日常から受け取るもの インスピレーションの多くは、街を歩く時間からやってくるそうです。観光でも特別な場所でもなく、ただの日常の時間。そして秋から冬にかけての空気感は、感覚の基盤になっているといいます。植物のような有機的な静けさと大胆さが共存する作品の雰囲気は、こうした蓄積によって育まれています。 作品を手にする方へ ドローイングの揺らぎを楽しんでほしい、とサトウさんは言います。彼女の作品と長く付き合っているわたしが感じるのは、飾るほどに部屋になじみながら、それでいて存在を主張し続けるしなやかさと強さ。計算された思いっきりの良さが、意識を捉えて離しません。   サトウアサミさんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム|主観と客観を往来する、サトウアサミの線と形。

画像はサトウさんのアトリエ 日常に溶け込みながら、それでいて気の利いた色と形でありたい。サトウアサミさんの作品には、そんな確かな意志が宿っています。比較的シンプルな形のはずなのに、どこか複雑な奥行きがある。それは、作家とデザイナーという二つの視点を意識的に行き来することで生まれる、サトウさんならではの緊張感なのだと思います。 作品との最初の出会い 制作を本格的に始めたのは、高校2年生のころ。美術科でデザインの基礎を学びながら、課題とは別に木版画の独学に打ち込みました。分野を分けずに取り組むその姿勢は、今の活動スタイルにも自然につながっています。 19歳のとき、木版画を中心とした展覧会を開催。そこで作品を見た方からイタリア料理店のロゴとサインのデザインを依頼されたことが、商業デザインへの最初の一歩となりました。"表現するための作品"と"使うための作品"。一見相反するように見えるこの二つが、実は同じ根を持つものだと体感したこの経験が、以来ずっと制作の根底に流れています。デザインと表現、どちらかに偏ることなく両方を手がけ続けているのは、その原点があるからかもしれません。 素材と制作のプロセス 現在の制作は、和紙×墨、あるいは洋紙×アクリル絵の具で原画を描くことから始まります。木版画の時代からの流れで、和紙と墨は今も手放せない画材のひとつ。愛用しているのは鳥取で作られる厚手の和紙です。 原画を描いたあとはデジタルへと場を移し、パーツを組み合わせ、色のバランスを整えながら一枚の画面を完成させていきます。デジタル上でまず大きな一枚を仕上げ、そこからトリミングして完成に近づけるといいます。色の組み合わせや見えているバランスはとりわけ重要で、この工程にもっとも時間をかけます。何日か寝かせて、改めて客観的な目で見直す。この「間」が、作品の質を決める重要な工程だといいます。単純で普遍的な形の組み合わせが、その作品に独特のリズムをもたらしています。 サトウさん愛用の画材 二つの視点を持つということ 作家として表現に没頭する主観的な視点と、デザイナーとして場を客観的に捉える視点。この往来が、彼女にとってのリズムであり、指針でもあります。幼いころから感性を仕事にする人たちと接する機会が多かったこともあり、自分のアイデアや考えを単なる主観に留めず、求められる場面で的確に発信することを意識してきたといいます。その姿勢は、空間デザインや壁画、パッケージ、ロゴと多岐にわたる仕事へとつながり、国内外の大手企業からの依頼も数多く手がけています。 影響を受けた作り手として挙げるのは、エットレ・ソットサスと棟方志功。前者はプロダクトとアートの境界を軽やかに越えたデザイナーであり、後者は版画で独自の世界を切り拓いた作家です。この二人を並べるところに、彼女の制作の幅と、その根にあるものが見えるような気がします。 日常から受け取るもの インスピレーションの多くは、街を歩く時間からやってくるそうです。観光でも特別な場所でもなく、ただの日常の時間。そして秋から冬にかけての空気感は、感覚の基盤になっているといいます。植物のような有機的な静けさと大胆さが共存する作品の雰囲気は、こうした蓄積によって育まれています。 作品を手にする方へ ドローイングの揺らぎを楽しんでほしい、とサトウさんは言います。彼女の作品と長く付き合っているわたしが感じるのは、飾るほどに部屋になじみながら、それでいて存在を主張し続けるしなやかさと強さ。計算された思いっきりの良さが、意識を捉えて離しません。   サトウアサミさんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

滝本優美さんの作品には、絵の具の確かな存在感がありながら、見ていて息が詰まらない。厚く盛られた色と白の絵の具が画面の中で均衡を探っていて、その張り合いが静かな緊張をつくっています。抑制された色づかいの中に、ところどころ差し込まれた強めの色が、画面を引き締める。わかりやすい派手さはないのに、目が離せない というのがわたしの第一印象でした。 外れなかった、ということ 滝本優美さんにとって絵を描(えが)くことは、「日常であり、自分を守るものでもあったから、やめる理由がなかった。画家でいることを選んだ、というより、画家で居続けることから外れなかった」という言い方が、正直な感覚だったのではないでしょうか。 「抽象に向かったのは、”描くこと”への違和感がきっかけでした。対象をうまく扱い描くことより、絵の具そのものに触れている時間の方が明らかに強かった。その気づきから、対象を手放し、"絵の具を描く"と言い切るようになりました。」その言葉は宣言というより、長い時間をかけてたどり着いた、自分の制作への正直な記述に聞こえます。 絵の具、キャンバス、自分 制作において一貫しているのも、この"絵の具を描く"という一点だと話してくれました。「絵の具の重たさや乾き、密度、蓄積。それをそのまま画面に置いていく。色や構図の着地を最初から決めることはほとんどなく、決めた瞬間に、そこに向かう作業になり、制作ではなくなる」からだと言います。 「絵の具、キャンバス、そして自分。この三者のやりとりから結果として残ったものを引き受ける方が"事実として信用できる"」——その言葉には、作り手としての誠実さがあります。「自分からのコントロールをしすぎないこと、その緊張状態を保ち続けること。それがいちばん難しくてやりがいがある」と滝本さんは話します。 滝本さん愛用のペインティングナイフ 密度と、白のあいだ 作品を見ていると、厚みがあるのに重くない、という印象を受けます。絵の具が盛り上がっているのに、画面に息がある。これは偶然ではなく、滝本さんは厚くのせた絵の具の密度と、白が塗られた部分の関係をかなり意識しているからです。「どちらかに寄るとすぐに説明的になる。そのぎりぎりを探り続けること。」密度と空白が拮抗しているからこそ、見る人の目が画面の中で自由に動ける。その緊張が、作品の呼吸をつくっているのだと思います。 わかった気にならないこと ”制作は、判断の精度を上げること”だと滝本さんは言います。「ごまかさずに、きちんと責任を取る。続ける上で意識しているのは、わかった気にならないこと。一度やり方が見えた瞬間に、それはもう弱くなるから」という言葉には、制作を惰性に任せない緊張感があります。 「うまくいったことより、崩れたときにどうやってよい絵にしていったかの経験が次につながる。」完成した作品の向こうに、無数の判断と失敗の蓄積がある。「インスピレーションより、制作中に起こる”少し気持ち悪い””なんとなく合っていない”という感覚を放置しないで拾うこと」その地道な往来が、滝本さんの制作の実態です。 作品とともに、時間を過ごす 「作品をどう見るかは完全に自由でいい」と滝本さんは言います。正しい見方はなく、向きを変えてもいい。ふとしたときに視界に入って、少しだけ感覚を揺らすような存在になれたらうれしい、と。 「絵画は静止しているように見えるが、実際にはかなり動的なモノの一瞬」そんな言葉も印象に残っています。作品は、時間や身体の感覚も含めて成り立っている。だからこそ、時間が経つにつれて見え方が変わっていくのなら、それは作品がきちんと“よい絵”であり続けている証なのかもしれません。 絵具の厚みやペインティングナイフの表現を特徴とする作家は他にもいます。けれど、小ぶりな画面のなかにも十分な密度があり、日本の住空間にもすっとなじむ静かな佇まいには、滝本さんならではの魅力が感じられます。見れば、滝本さんの作品だとわかる。そう思わせる確かな個性があります。 a good viewで滝本さんの作品と出会った方が、いつか実際にその油絵の前に立つ日が来たら・・ そんなことを想像しています。 滝本さんの作品はこちら  

作家の深掘りコラム|「絵の具を描(えが)く」抽象画家 滝本優美

滝本優美さんの作品には、絵の具の確かな存在感がありながら、見ていて息が詰まらない。厚く盛られた色と白の絵の具が画面の中で均衡を探っていて、その張り合いが静かな緊張をつくっています。抑制された色づかいの中に、ところどころ差し込まれた強めの色が、画面を引き締める。わかりやすい派手さはないのに、目が離せない というのがわたしの第一印象でした。 外れなかった、ということ 滝本優美さんにとって絵を描(えが)くことは、「日常であり、自分を守るものでもあったから、やめる理由がなかった。画家でいることを選んだ、というより、画家で居続けることから外れなかった」という言い方が、正直な感覚だったのではないでしょうか。 「抽象に向かったのは、”描くこと”への違和感がきっかけでした。対象をうまく扱い描くことより、絵の具そのものに触れている時間の方が明らかに強かった。その気づきから、対象を手放し、"絵の具を描く"と言い切るようになりました。」その言葉は宣言というより、長い時間をかけてたどり着いた、自分の制作への正直な記述に聞こえます。 絵の具、キャンバス、自分 制作において一貫しているのも、この"絵の具を描く"という一点だと話してくれました。「絵の具の重たさや乾き、密度、蓄積。それをそのまま画面に置いていく。色や構図の着地を最初から決めることはほとんどなく、決めた瞬間に、そこに向かう作業になり、制作ではなくなる」からだと言います。 「絵の具、キャンバス、そして自分。この三者のやりとりから結果として残ったものを引き受ける方が"事実として信用できる"」——その言葉には、作り手としての誠実さがあります。「自分からのコントロールをしすぎないこと、その緊張状態を保ち続けること。それがいちばん難しくてやりがいがある」と滝本さんは話します。 滝本さん愛用のペインティングナイフ 密度と、白のあいだ 作品を見ていると、厚みがあるのに重くない、という印象を受けます。絵の具が盛り上がっているのに、画面に息がある。これは偶然ではなく、滝本さんは厚くのせた絵の具の密度と、白が塗られた部分の関係をかなり意識しているからです。「どちらかに寄るとすぐに説明的になる。そのぎりぎりを探り続けること。」密度と空白が拮抗しているからこそ、見る人の目が画面の中で自由に動ける。その緊張が、作品の呼吸をつくっているのだと思います。 わかった気にならないこと ”制作は、判断の精度を上げること”だと滝本さんは言います。「ごまかさずに、きちんと責任を取る。続ける上で意識しているのは、わかった気にならないこと。一度やり方が見えた瞬間に、それはもう弱くなるから」という言葉には、制作を惰性に任せない緊張感があります。 「うまくいったことより、崩れたときにどうやってよい絵にしていったかの経験が次につながる。」完成した作品の向こうに、無数の判断と失敗の蓄積がある。「インスピレーションより、制作中に起こる”少し気持ち悪い””なんとなく合っていない”という感覚を放置しないで拾うこと」その地道な往来が、滝本さんの制作の実態です。 作品とともに、時間を過ごす 「作品をどう見るかは完全に自由でいい」と滝本さんは言います。正しい見方はなく、向きを変えてもいい。ふとしたときに視界に入って、少しだけ感覚を揺らすような存在になれたらうれしい、と。 「絵画は静止しているように見えるが、実際にはかなり動的なモノの一瞬」そんな言葉も印象に残っています。作品は、時間や身体の感覚も含めて成り立っている。だからこそ、時間が経つにつれて見え方が変わっていくのなら、それは作品がきちんと“よい絵”であり続けている証なのかもしれません。 絵具の厚みやペインティングナイフの表現を特徴とする作家は他にもいます。けれど、小ぶりな画面のなかにも十分な密度があり、日本の住空間にもすっとなじむ静かな佇まいには、滝本さんならではの魅力が感じられます。見れば、滝本さんの作品だとわかる。そう思わせる確かな個性があります。 a good viewで滝本さんの作品と出会った方が、いつか実際にその油絵の前に立つ日が来たら・・ そんなことを想像しています。 滝本さんの作品はこちら  

作家の深掘りコラム | 境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

作家の深掘りコラム | 境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

抽象画には、言葉より先に届くものがあります。何が描かれているかを説明する前に、空気や気配のようなものが立ち上がってくる。タンジサトミさんの作品も、まさにそういう絵です。 やわらかな色の重なり。流れるような曲線。にじみや揺らぎをそのまま抱え込んだような表情。きっぱりと何かを断言する強さというより、異なるもの同士を受け入れながら整えていく力がある。混沌や陰の気配も知ったうえで、それでもなお光のほうへ目を向けようとする——そんな姿勢が、作品全体に通底しています。   抽象画との出会いが、眠っていた感覚を呼び起こした タンジさんが創作活動を本格的に始めたのは2019年。現在はフルイドアート(絵の具を液状にして、キャンバスに流したり傾けたりしながら描く技法)を中心に制作されていますが、それ以前の歩みも印象的です。新卒で外資系航空会社のCAとして働き、その後はフリーランスの字幕翻訳者として活動。いまの表現には、そうした仕事を通して触れてきた海外の空気や、異国の文化の記憶が生きているといいます。 もともと幼い頃からものづくりが好きで、将来はクリエイティブなことに関わりたいという思いもあった。けれど大人になるにつれ、その感覚はいったん奥へしまわれていった。 転機は、自宅に飾る抽象画が欲しくて、自分で描いてみたことでした。やってみると、その面白さに一気に引き込まれた。しかも始めて間もない時期に大阪の公募展で賞を受けたことで、「作家としてやっていきたい」という意識がはっきりと形になっていったそうです。   タンジさんのアルコールインクを使った作品   海を越えて届いたことが、表現への確信になった 活動の中で大きな転機となったのが、2021年に台湾で開催した初の海外個展でした。コロナ禍という難しい時期での開催でしたが、作品は完売。ご本人にとっても「奇跡を見ているようだった」と感じられる出来事だったといいます。 言葉が通じなくても、絵は届く。国境を越えても、自分の伝えたいものは伝わる——そう実感できたことは、タンジさんの作品に通底する「国や人種、文化にとらわれない調和」の感覚を、より確かなものにしたはずです。 抽象画は、具体的なモチーフを持たないぶん、受け手に委ねられる部分が大きい表現です。だからこそ、文化的背景の違う人にも届きうる。その可能性を、自身の体験によって確かめた作家です。   素材を選び、偶然を受け入れる タンジさんが意識しているのは「調和の世界」、そしてそのなかに光を感じさせることです。自然へのリスペクト、陰陽のバランス、明るさだけでなく陰りや揺らぎも排除しないこと。そのうえでなお希望を見出そうとする視点が、作品の根底にあります。 素材への意識も鋭く、箔なら24Kゴールド、レジンも高品質なものを選ぶ。ニュアンスカラーや淡い色がきれいに出る素材を見極めて使っているそうです。抽象画は自由な表現と思われがちですが、素材選びによって透明感や奥行きは大きく変わる。その細部への目配りが、作品の品質を支えています。 一方、制作姿勢そのものはとても開かれています。頭を空っぽにして、コントロールしすぎず、自然に出来上がるものを大切にする。テクスチャを重ね、偶然生まれた効果を活かしながら制作を進めていく。色と動きが画面いっぱいに広がり、そこへ箔のアクセントが光を呼び込む。自然界にあるような色の選択も含め、素材や流れと協働するような姿勢が、作品の透明感と奥行きを支えています。   光をイメージさせるために使われるゴールドの箔   旅の記憶と、静かな集中が作品を育てる 制作は自宅の一室をアトリエに、午前の早い時間帯を中心に行っているそうです。頭がすっきりしているうちに集中的に進め、生活習慣を整え、一人の時間を大切にする。そのあり方は、そのまま作品にも表れているように感じます。何かを足して強くするのではなく、ノイズを減らして感覚が入りやすい状態を保つ。その上で、自分の内側に入ってきたものをすくい上げる。 インスピレーションの源として挙げられるのは、旅行先の街並み、古い建築物、ヨーロッパで見た歴史的建造物や教会など。土地や建物が抱えてきた深さへのまなざしが、作品に漂うどこか神秘的な気配を生んでいるのだと思います。   暮らしの中で、さりげなく効いてくる絵 タンジさんは、ご自身の作品が「癒される感覚」や「心が少し軽くなる感覚」につながればと語っています。混沌とした世の中のなかで、見る人の内側の何かに共鳴すること。そこに自然と共生していく意識まで重ねようとしているところに、この作家ならではのスケールを感じます。 同時に、作品が暮らしの中でどうあってほしいかという視点は具体的です。家のインテリアやライトに馴染み、さりげなく存在し、そこにあることで空間が少し変わる。強く主張しすぎず、けれど確かに場の空気を整える。 見るたびに何かをはっきり説明してくれる絵ではないかもしれません。けれど、ふとしたときに心の位置を整えてくれる。タンジサトミさんの抽象画は、そんなふうに長く一緒にいられる作品です。...

作家の深掘りコラム | 境界を溶かし、光を呼び込む。抽象画家 タンジサトミ

抽象画には、言葉より先に届くものがあります。何が描かれているかを説明する前に、空気や気配のようなものが立ち上がってくる。タンジサトミさんの作品も、まさにそういう絵です。 やわらかな色の重なり。流れるような曲線。にじみや揺らぎをそのまま抱え込んだような表情。きっぱりと何かを断言する強さというより、異なるもの同士を受け入れながら整えていく力がある。混沌や陰の気配も知ったうえで、それでもなお光のほうへ目を向けようとする——そんな姿勢が、作品全体に通底しています。   抽象画との出会いが、眠っていた感覚を呼び起こした タンジさんが創作活動を本格的に始めたのは2019年。現在はフルイドアート(絵の具を液状にして、キャンバスに流したり傾けたりしながら描く技法)を中心に制作されていますが、それ以前の歩みも印象的です。新卒で外資系航空会社のCAとして働き、その後はフリーランスの字幕翻訳者として活動。いまの表現には、そうした仕事を通して触れてきた海外の空気や、異国の文化の記憶が生きているといいます。 もともと幼い頃からものづくりが好きで、将来はクリエイティブなことに関わりたいという思いもあった。けれど大人になるにつれ、その感覚はいったん奥へしまわれていった。 転機は、自宅に飾る抽象画が欲しくて、自分で描いてみたことでした。やってみると、その面白さに一気に引き込まれた。しかも始めて間もない時期に大阪の公募展で賞を受けたことで、「作家としてやっていきたい」という意識がはっきりと形になっていったそうです。   タンジさんのアルコールインクを使った作品   海を越えて届いたことが、表現への確信になった 活動の中で大きな転機となったのが、2021年に台湾で開催した初の海外個展でした。コロナ禍という難しい時期での開催でしたが、作品は完売。ご本人にとっても「奇跡を見ているようだった」と感じられる出来事だったといいます。 言葉が通じなくても、絵は届く。国境を越えても、自分の伝えたいものは伝わる——そう実感できたことは、タンジさんの作品に通底する「国や人種、文化にとらわれない調和」の感覚を、より確かなものにしたはずです。 抽象画は、具体的なモチーフを持たないぶん、受け手に委ねられる部分が大きい表現です。だからこそ、文化的背景の違う人にも届きうる。その可能性を、自身の体験によって確かめた作家です。   素材を選び、偶然を受け入れる タンジさんが意識しているのは「調和の世界」、そしてそのなかに光を感じさせることです。自然へのリスペクト、陰陽のバランス、明るさだけでなく陰りや揺らぎも排除しないこと。そのうえでなお希望を見出そうとする視点が、作品の根底にあります。 素材への意識も鋭く、箔なら24Kゴールド、レジンも高品質なものを選ぶ。ニュアンスカラーや淡い色がきれいに出る素材を見極めて使っているそうです。抽象画は自由な表現と思われがちですが、素材選びによって透明感や奥行きは大きく変わる。その細部への目配りが、作品の品質を支えています。 一方、制作姿勢そのものはとても開かれています。頭を空っぽにして、コントロールしすぎず、自然に出来上がるものを大切にする。テクスチャを重ね、偶然生まれた効果を活かしながら制作を進めていく。色と動きが画面いっぱいに広がり、そこへ箔のアクセントが光を呼び込む。自然界にあるような色の選択も含め、素材や流れと協働するような姿勢が、作品の透明感と奥行きを支えています。   光をイメージさせるために使われるゴールドの箔   旅の記憶と、静かな集中が作品を育てる 制作は自宅の一室をアトリエに、午前の早い時間帯を中心に行っているそうです。頭がすっきりしているうちに集中的に進め、生活習慣を整え、一人の時間を大切にする。そのあり方は、そのまま作品にも表れているように感じます。何かを足して強くするのではなく、ノイズを減らして感覚が入りやすい状態を保つ。その上で、自分の内側に入ってきたものをすくい上げる。 インスピレーションの源として挙げられるのは、旅行先の街並み、古い建築物、ヨーロッパで見た歴史的建造物や教会など。土地や建物が抱えてきた深さへのまなざしが、作品に漂うどこか神秘的な気配を生んでいるのだと思います。   暮らしの中で、さりげなく効いてくる絵 タンジさんは、ご自身の作品が「癒される感覚」や「心が少し軽くなる感覚」につながればと語っています。混沌とした世の中のなかで、見る人の内側の何かに共鳴すること。そこに自然と共生していく意識まで重ねようとしているところに、この作家ならではのスケールを感じます。 同時に、作品が暮らしの中でどうあってほしいかという視点は具体的です。家のインテリアやライトに馴染み、さりげなく存在し、そこにあることで空間が少し変わる。強く主張しすぎず、けれど確かに場の空気を整える。 見るたびに何かをはっきり説明してくれる絵ではないかもしれません。けれど、ふとしたときに心の位置を整えてくれる。タンジサトミさんの抽象画は、そんなふうに長く一緒にいられる作品です。...

作家の深掘りコラム|日常に、季節の呼吸を。一栁綾乃の植物画

作家の深掘りコラム|日常に、季節の呼吸を。一栁綾乃の植物画

一栁さんの作品には、見ていると呼吸が整う感覚があります。カンプシス(ノウゼンカズラ)の橙、コレオプシスの黄、オキザリスの紫。どれも鮮やかなのに、騒がしくない。余白が光を通しているようで、植物そのものというより、植物と季節のあいだにある何かを描いているように感じます。モチーフはいつも身近な草花ですが、それが日常の景色として、ごく自然にそこにあるような距離感があります。   「褒めてもらった」が出発点 静岡で生まれ育った一栁さんが絵と出会ったきっかけは、小学3・4年生のときの担任の先生でした。美術の先生だったその人に褒めてもらったことが、「描くことが好き」という気持ちの出発点になったと話してくれました。それは今も変わらない、制作の根っこにある感覚です。続けていく上でのモットーとして「描くのが好きなので、その気持ちを大事にすること」と語ってくれた言葉に、その原点がそのまま生きているように感じます。   京都が変えた、景色の見方 20代はクリエーターたちが集まるカフェに通い、さまざまな人との出会いを重ねました。大きな転機となったのは30代の京都生活です。地元・静岡とは異なる街の雰囲気や文化の中で、スケッチを日課にするようになり、自然に触れる機会も増えたことで、植物をモチーフに描くことが増えていきました。そして京都で出会った染色の世界が、現在のテキスタイルの仕事へとつながっています。その後、出産を経て子どもと過ごす時間の中で、自然と向き合う目がさらに深まったといいます。静岡、京都、そして母になってからの日々。それぞれの場所と時間が、一栁さんの作品の地層をつくっているように思います。   京都芸術センターでの展示   画材と、制作のリズム 画材はヴィフアール水彩紙(細目)と、吉祥の顔彩(日本画で使われる絵の具で、独特の発色と質感が特徴)。さまざまな画材を試した末に行き着いた組み合わせだそうです。水彩の技法で描く色の繊細さと質感、にじみ具合が、植物の表情とよく合っています。そして、下書きはしません。イメージを頭の中で育ててから、そのまま紙に向かう。その潔さが、線に迷いのない伸びやかさを生んでいるのかもしれません。制作中はharuka nakamuraや高木正勝といった、空気のようにやわらかく広がる音楽を流すことが多いそうで、作品の持つ静かな明るさと、どこか通じるものを感じます。   一栁さんの画材   込めすぎない、だから届く 「自分の意思や想いを作品に込めすぎない」と一栁さんは言います。客観的に描くことで、見る人に作品が寄り添える、と。目指しているのは、主張ではなく、共鳴です。日常の中で見落としてしまいそうな小さな美しさや、季節の移ろい。それに気づける感覚を、絵を通してそっと呼び覚ましてほしいという思いが、作品の奥にあります。描きすぎず、ゆとりを残し、自分の感じた色を使う。シンプルに聞こえますが、それを貫くことが、実は最も難しいことのひとつだと思います。   芹沢銈介と伊藤尚美、その系譜に 影響を受けた作家として名を挙げるのは、型染めの巨匠・芹沢銈介氏とテキスタイルデザイナーの伊藤尚美さん。どちらも美術館の中だけで完結しない「生活に入る美」を実践している作り手です。その名前を聞いて、一栁さんの植物画が暮らしの道具や布地へと自然につながっていく理由が、腑に落ちた気がしました。   小さな彩りとして、暮らしの中へ 「作品が、日々の中の小さな彩りとなったら嬉しい」という言葉が、すべてを言い表しているように思います。テキスタイルの分野でも、壁紙やカーテン、食器など、暮らしの中のさまざまなものへと表現を広げていきたいという気持ちを語ってくれました。絵を描くことと、生活に寄り添うものをつくること。その両方を、一栁さんは同じ感覚で大切にしているのだと感じます。飾る人の日常に、そっと季節の空気を届けてくれる。それが一栁綾乃さんの作品の在り方です。   一栁さんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム|日常に、季節の呼吸を。一栁綾乃の植物画

一栁さんの作品には、見ていると呼吸が整う感覚があります。カンプシス(ノウゼンカズラ)の橙、コレオプシスの黄、オキザリスの紫。どれも鮮やかなのに、騒がしくない。余白が光を通しているようで、植物そのものというより、植物と季節のあいだにある何かを描いているように感じます。モチーフはいつも身近な草花ですが、それが日常の景色として、ごく自然にそこにあるような距離感があります。   「褒めてもらった」が出発点 静岡で生まれ育った一栁さんが絵と出会ったきっかけは、小学3・4年生のときの担任の先生でした。美術の先生だったその人に褒めてもらったことが、「描くことが好き」という気持ちの出発点になったと話してくれました。それは今も変わらない、制作の根っこにある感覚です。続けていく上でのモットーとして「描くのが好きなので、その気持ちを大事にすること」と語ってくれた言葉に、その原点がそのまま生きているように感じます。   京都が変えた、景色の見方 20代はクリエーターたちが集まるカフェに通い、さまざまな人との出会いを重ねました。大きな転機となったのは30代の京都生活です。地元・静岡とは異なる街の雰囲気や文化の中で、スケッチを日課にするようになり、自然に触れる機会も増えたことで、植物をモチーフに描くことが増えていきました。そして京都で出会った染色の世界が、現在のテキスタイルの仕事へとつながっています。その後、出産を経て子どもと過ごす時間の中で、自然と向き合う目がさらに深まったといいます。静岡、京都、そして母になってからの日々。それぞれの場所と時間が、一栁さんの作品の地層をつくっているように思います。   京都芸術センターでの展示   画材と、制作のリズム 画材はヴィフアール水彩紙(細目)と、吉祥の顔彩(日本画で使われる絵の具で、独特の発色と質感が特徴)。さまざまな画材を試した末に行き着いた組み合わせだそうです。水彩の技法で描く色の繊細さと質感、にじみ具合が、植物の表情とよく合っています。そして、下書きはしません。イメージを頭の中で育ててから、そのまま紙に向かう。その潔さが、線に迷いのない伸びやかさを生んでいるのかもしれません。制作中はharuka nakamuraや高木正勝といった、空気のようにやわらかく広がる音楽を流すことが多いそうで、作品の持つ静かな明るさと、どこか通じるものを感じます。   一栁さんの画材   込めすぎない、だから届く 「自分の意思や想いを作品に込めすぎない」と一栁さんは言います。客観的に描くことで、見る人に作品が寄り添える、と。目指しているのは、主張ではなく、共鳴です。日常の中で見落としてしまいそうな小さな美しさや、季節の移ろい。それに気づける感覚を、絵を通してそっと呼び覚ましてほしいという思いが、作品の奥にあります。描きすぎず、ゆとりを残し、自分の感じた色を使う。シンプルに聞こえますが、それを貫くことが、実は最も難しいことのひとつだと思います。   芹沢銈介と伊藤尚美、その系譜に 影響を受けた作家として名を挙げるのは、型染めの巨匠・芹沢銈介氏とテキスタイルデザイナーの伊藤尚美さん。どちらも美術館の中だけで完結しない「生活に入る美」を実践している作り手です。その名前を聞いて、一栁さんの植物画が暮らしの道具や布地へと自然につながっていく理由が、腑に落ちた気がしました。   小さな彩りとして、暮らしの中へ 「作品が、日々の中の小さな彩りとなったら嬉しい」という言葉が、すべてを言い表しているように思います。テキスタイルの分野でも、壁紙やカーテン、食器など、暮らしの中のさまざまなものへと表現を広げていきたいという気持ちを語ってくれました。絵を描くことと、生活に寄り添うものをつくること。その両方を、一栁さんは同じ感覚で大切にしているのだと感じます。飾る人の日常に、そっと季節の空気を届けてくれる。それが一栁綾乃さんの作品の在り方です。   一栁さんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム | 「生き物だな」と感じられる絵 ado(渡辺真希子)

作家の深掘りコラム | 「生き物だな」と感じられる絵 ado(渡辺真希子)

adoさんの描く生き物は、愛らしさを前面に出しすぎません。目が合うのに、言い切らない。表情があるのに、説明しない。その距離感があるから、眺めているうちに「かわいいね」で終わらず、ふと“生き物としての存在”に引き戻されます。目線の置き方、輪郭のゆるみ、体の重みの残し方。その全部が、こちらの感情を急かさないまま、静かに近づいてくる感じです。     描き始めたのは、ケニヤから帰った春adoさんが創作を始めたのは、大学の畜産学部2年の春。2ヶ月のケニヤ滞在を終えて帰国した直後でした。野生動物保全に関わりたい気持ちは強かった一方で「獣医でもない」「屈強な身体があるわけでもない」「語学力も十分ではない」。現地で自分の“甘さ”に気づいたといいます。それでも「自分なりに出来ることはないだろうか」と考え続けた滞在中、ケニヤの人たちに似顔絵を描いたところ、とても喜んでもらえた。そこで、絵には人の心を動かし、届く力があると体感します。帰国後は、描きながら伝えながら、自分にできることを少しずつ増やしていく道を選びました。 作品に流れる軸「“生き物だな”と感じられること」adoさんが絵を通して大切にしているのは、まず「自由に感じるままに見てもらえる」こと。そのうえで、ときには「その生き物がどこかで生きていること」や「多種多様な生き物がそれぞれの場所で暮らしていること」に、じんわり思いを馳せてもらえたらうれしい。一貫して流れるテーマは、言葉にすると少し不思議で、けれど芯のある一文です。 「“生き物だな”と感じられるものになっていること」 説明や正解に寄りかからず、見る人の感覚にそっと火を灯す。その静かな狙いが、adoさんの絵の立ち上がり方を決めているように思えます。 和紙とオイルパステル、手から紙へ「直接つながる感じ」近年よく使う素材は、和紙とオイルパステル。和紙の「モケモケ感」が、生き物を描くことと相性がいい。オイルパステルは、筆などの道具を介さず、手から直接紙へつなげられる感覚、発色、質感が好き。技法の説明は多くを語らなくても、素材選びの理由だけで伝わるものがあります。“触るように描く”。その距離感が、adoさんの生き物を「概念」ではなく「存在」に近づけていきます。 目の表情で、印象が変わる色や構図、線について「特にないかも」とさらりと言うadoさん。ただし生き物においては、目で印象がだいぶ変わる。だから、しっくりくるまでいろいろ試すことが多いそうです。この「しっくり」の中には、観察と直感、知識と手の記憶が混ざっているはずで、そこを急がないのがadoさんらしさなのだと思います。 モットーはシンプルに「やりたいことをやる。やれることをやる」創作に向き合うときは「作ってみたいと思ったら作ってみる。手を動かしてみる」。続けていく上でのモットーは、「やりたいことをやる やれることをやる」。大きな転機が一度あったというより、ご縁やきっかけが連なって、できることと活動の範囲が少しずつ増えていった。そんな歩み方をしています。 原体験としてのケニヤ、そして「具体的な動き」へadoさんにとっての原体験は、ケニヤで滞在を受け入れてくれた獣医の神戸俊平さんの存在。その後も多くの人や経験に支えられて今があると、しみじみ語ります。今後やってみたいのは、描くことだけに留まらず、実際に生き物の状況がよくなる具体的な動きも少しずつ増やしていくこと。「生き物は知識としても経験としても、どれだけでも学ぶことがある」。この言葉は、創作の背骨であり、暮らし方の宣言にも聞こえます。 飾る人へ「好きだなー!と思ったら、その気持ちを大切に」作品を手に取る方へのメッセージは、とても率直です。「私のものに限らず、自分が好きだなー!と思ったらその気持ちを大切にすると楽しいと思う」飾ってもらえるのは「めちゃ嬉しい」。それぞれの家で自分の絵が暮らしていると思うと、しみじみうれしい。絵が暮らしの中で担ってほしい役割も大げさではなく、「じんわり何らか少しでもプラスになっていたら」。この“じんわり”が、adoさんの絵の温度です。 adoさんのnoteでは「ネコが外で暮らさずに済むようにする」を目標に、外のネコが直面する危険や、私たちにできる選択をやさしく整理しています。外のネコは事故だけでも全国推定22万3366匹が亡くなるというデータに触れつつ、寒さ暑さや病気、虐待などの現実を挙げたうえで「安易に餌をあげない」「完全室内飼い」「避妊去勢」「TNR+Manage+Adopt」など、具体的な行動に落とし込んでいます。さらにご自身の18年の経験と反省も率直に綴られているので、詳しくはアドさんのnoteの投稿をご覧ください。 https://note.com/ado_jogoo/n/nbb102db00b5c   のーちゃんとサビ   adoさんの作品はこちらから  

作家の深掘りコラム | 「生き物だな」と感じられる絵 ado(渡辺真希子)

adoさんの描く生き物は、愛らしさを前面に出しすぎません。目が合うのに、言い切らない。表情があるのに、説明しない。その距離感があるから、眺めているうちに「かわいいね」で終わらず、ふと“生き物としての存在”に引き戻されます。目線の置き方、輪郭のゆるみ、体の重みの残し方。その全部が、こちらの感情を急かさないまま、静かに近づいてくる感じです。     描き始めたのは、ケニヤから帰った春adoさんが創作を始めたのは、大学の畜産学部2年の春。2ヶ月のケニヤ滞在を終えて帰国した直後でした。野生動物保全に関わりたい気持ちは強かった一方で「獣医でもない」「屈強な身体があるわけでもない」「語学力も十分ではない」。現地で自分の“甘さ”に気づいたといいます。それでも「自分なりに出来ることはないだろうか」と考え続けた滞在中、ケニヤの人たちに似顔絵を描いたところ、とても喜んでもらえた。そこで、絵には人の心を動かし、届く力があると体感します。帰国後は、描きながら伝えながら、自分にできることを少しずつ増やしていく道を選びました。 作品に流れる軸「“生き物だな”と感じられること」adoさんが絵を通して大切にしているのは、まず「自由に感じるままに見てもらえる」こと。そのうえで、ときには「その生き物がどこかで生きていること」や「多種多様な生き物がそれぞれの場所で暮らしていること」に、じんわり思いを馳せてもらえたらうれしい。一貫して流れるテーマは、言葉にすると少し不思議で、けれど芯のある一文です。 「“生き物だな”と感じられるものになっていること」 説明や正解に寄りかからず、見る人の感覚にそっと火を灯す。その静かな狙いが、adoさんの絵の立ち上がり方を決めているように思えます。 和紙とオイルパステル、手から紙へ「直接つながる感じ」近年よく使う素材は、和紙とオイルパステル。和紙の「モケモケ感」が、生き物を描くことと相性がいい。オイルパステルは、筆などの道具を介さず、手から直接紙へつなげられる感覚、発色、質感が好き。技法の説明は多くを語らなくても、素材選びの理由だけで伝わるものがあります。“触るように描く”。その距離感が、adoさんの生き物を「概念」ではなく「存在」に近づけていきます。 目の表情で、印象が変わる色や構図、線について「特にないかも」とさらりと言うadoさん。ただし生き物においては、目で印象がだいぶ変わる。だから、しっくりくるまでいろいろ試すことが多いそうです。この「しっくり」の中には、観察と直感、知識と手の記憶が混ざっているはずで、そこを急がないのがadoさんらしさなのだと思います。 モットーはシンプルに「やりたいことをやる。やれることをやる」創作に向き合うときは「作ってみたいと思ったら作ってみる。手を動かしてみる」。続けていく上でのモットーは、「やりたいことをやる やれることをやる」。大きな転機が一度あったというより、ご縁やきっかけが連なって、できることと活動の範囲が少しずつ増えていった。そんな歩み方をしています。 原体験としてのケニヤ、そして「具体的な動き」へadoさんにとっての原体験は、ケニヤで滞在を受け入れてくれた獣医の神戸俊平さんの存在。その後も多くの人や経験に支えられて今があると、しみじみ語ります。今後やってみたいのは、描くことだけに留まらず、実際に生き物の状況がよくなる具体的な動きも少しずつ増やしていくこと。「生き物は知識としても経験としても、どれだけでも学ぶことがある」。この言葉は、創作の背骨であり、暮らし方の宣言にも聞こえます。 飾る人へ「好きだなー!と思ったら、その気持ちを大切に」作品を手に取る方へのメッセージは、とても率直です。「私のものに限らず、自分が好きだなー!と思ったらその気持ちを大切にすると楽しいと思う」飾ってもらえるのは「めちゃ嬉しい」。それぞれの家で自分の絵が暮らしていると思うと、しみじみうれしい。絵が暮らしの中で担ってほしい役割も大げさではなく、「じんわり何らか少しでもプラスになっていたら」。この“じんわり”が、adoさんの絵の温度です。 adoさんのnoteでは「ネコが外で暮らさずに済むようにする」を目標に、外のネコが直面する危険や、私たちにできる選択をやさしく整理しています。外のネコは事故だけでも全国推定22万3366匹が亡くなるというデータに触れつつ、寒さ暑さや病気、虐待などの現実を挙げたうえで「安易に餌をあげない」「完全室内飼い」「避妊去勢」「TNR+Manage+Adopt」など、具体的な行動に落とし込んでいます。さらにご自身の18年の経験と反省も率直に綴られているので、詳しくはアドさんのnoteの投稿をご覧ください。 https://note.com/ado_jogoo/n/nbb102db00b5c   のーちゃんとサビ   adoさんの作品はこちらから  

作家の深掘りコラム|北海道の模様作家、岡理恵子

作家の深掘りコラム|北海道の模様作家、岡理恵子

岡さんの仕事スペース   「点と線模様製作所」という名前は、どこか研究機関めいた響きを持っています。実際には、北海道生まれのテキスタイルデザイナー・岡理恵子が一人で運営するブランド。2008年のスタート以来、模様を作ることを軸にブランドを育て、2012年からは図案集などの著作本を不定期に刊行しています。   「点」と「線」に込めたもの ブランド名の由来を聞くと、岡さんらしい正直さが返ってきます。活動をはじめた頃、花や動物を描くことがとても苦手だったと言います。「点と線を使えば、きっと何でも描ける」——そう自分に言い聞かせるようなエールを、そのまま名前にしました。漢字を選んだのも理由があります。ひらがなだとやわらかすぎる。「漢字くらいの強さがないと続けられない」という感覚がありました。模様づくりを自分の基盤に据えるという姿勢を、名前そのものに刻んでおきたかったのだと思います。   模様に向かうまで 大学では空間設計を専攻していた岡さんですが、3年生の頃に行き詰まりを感じて休学しています。「芸術」という言葉に引っ張られ、何か難しそうなもの、おしゃれな感じのものを作らなければという漠然とした思い込みが、手も思考も止めていました。復学を前に、テーブルクロスやクッションで空間を変えたい、そのための模様(生地)を作りたいと先生に相談します。返ってきたのはウィリアム・モリスの名前と、「布よりも壁紙の模様を研究した方が模様の基礎を学べる」という助言でした。一度貼ったらしばらく替えられない壁紙だからこそ、長く見ていても飽きない模様の意味を深く考えられる、という理由でした。「先生の言葉が、止まっていた私の思考の霧を晴らしてくれました」と岡さんは語っています。壁紙作りを通じて、美しい模様には意味や背景があり、使う人の心をさまざまな気持ちにできるということを学んだそうです。その後、大学院では「模様の存在意義」を問われる2年間を過ごします。千利休の茶室の壁を参照したり、「人は真っ白じゃ生きられない」という結論を理屈として積み上げていきました。視覚心理学も参考にしたといいます。感覚で作ったことはない、意味を考えて作ることが自分らしさになっている、と今も語っています。   心が動くと、模様になる 「何かを見たり、いいなって思う瞬間がないと、モノづくりにつながりません」——岡さんの制作は、感情の動きから始まります。目の前の風景を写真に撮ることはしません。心が動いた記憶を、まず言葉に変換します。「縦に細長いススキの穂」「もくもくした雲」。言葉にすることで、事実のコピーではなく模様の核だけが残り、頭の中でイメージがふくらんでからアイデアスケッチに入ります。当店で取り扱う「BIRD GARDEN」も、夜の森の方から鳥の声が聴こえてきたことがきっかけでした。実や葉っぱは、すべて想像の中で描き加えたものです。「キツネの小道」はキタキツネの足跡を見つけたことから生まれました。目で見た事実を出発点にしながら、そこに記憶と感情を重ねて模様を育てていく。「貝殻を集めた記憶がうれしい」「切手をたくさん貼った荷物を送ってくれた人は、その光景を私に見せたかったのかもしれない——そう考えると嬉しくなって、模様につながるんです」という言葉が、そのプロセスをよく表しています。物よりも、物にまつわる記憶や感情が、岡さんの模様の種になっています。   誰かの生活の素材になるために 画材は固定しません。素朴さと力強さを出したいときはクレヨン、透明感が欲しいときは水彩、輪郭をくっきりさせたいときは切り絵。描きたい模様の性質が画材を選びます。オリジナルの模様は年に1〜2点を目標にしていて、「模様の種類が増えることが大事。お客さまの選択肢が増えるから」と語っています。「1枚絵のような作品的なものではなく、リピートして量産できるものを熱望した」という言葉が、岡さんの一貫した姿勢を示しています。家の中は人工的な空間だからこそ、そこに外のものを持ち込む感覚で模様をつくりたい。誰かの暮らしの素材になってはじめて、模様は役割を果たす——そういう考え方が、点と線模様製作所の根底にあります。 わたしがはじめて岡さんと出会ったのは2012年のことです。 あれから10年以上が経ちますが、岡さんの模様に対する姿勢は、当時から少しも揺らいでいません。   岡さん愛用の画材   岡さんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム|北海道の模様作家、岡理恵子

岡さんの仕事スペース   「点と線模様製作所」という名前は、どこか研究機関めいた響きを持っています。実際には、北海道生まれのテキスタイルデザイナー・岡理恵子が一人で運営するブランド。2008年のスタート以来、模様を作ることを軸にブランドを育て、2012年からは図案集などの著作本を不定期に刊行しています。   「点」と「線」に込めたもの ブランド名の由来を聞くと、岡さんらしい正直さが返ってきます。活動をはじめた頃、花や動物を描くことがとても苦手だったと言います。「点と線を使えば、きっと何でも描ける」——そう自分に言い聞かせるようなエールを、そのまま名前にしました。漢字を選んだのも理由があります。ひらがなだとやわらかすぎる。「漢字くらいの強さがないと続けられない」という感覚がありました。模様づくりを自分の基盤に据えるという姿勢を、名前そのものに刻んでおきたかったのだと思います。   模様に向かうまで 大学では空間設計を専攻していた岡さんですが、3年生の頃に行き詰まりを感じて休学しています。「芸術」という言葉に引っ張られ、何か難しそうなもの、おしゃれな感じのものを作らなければという漠然とした思い込みが、手も思考も止めていました。復学を前に、テーブルクロスやクッションで空間を変えたい、そのための模様(生地)を作りたいと先生に相談します。返ってきたのはウィリアム・モリスの名前と、「布よりも壁紙の模様を研究した方が模様の基礎を学べる」という助言でした。一度貼ったらしばらく替えられない壁紙だからこそ、長く見ていても飽きない模様の意味を深く考えられる、という理由でした。「先生の言葉が、止まっていた私の思考の霧を晴らしてくれました」と岡さんは語っています。壁紙作りを通じて、美しい模様には意味や背景があり、使う人の心をさまざまな気持ちにできるということを学んだそうです。その後、大学院では「模様の存在意義」を問われる2年間を過ごします。千利休の茶室の壁を参照したり、「人は真っ白じゃ生きられない」という結論を理屈として積み上げていきました。視覚心理学も参考にしたといいます。感覚で作ったことはない、意味を考えて作ることが自分らしさになっている、と今も語っています。   心が動くと、模様になる 「何かを見たり、いいなって思う瞬間がないと、モノづくりにつながりません」——岡さんの制作は、感情の動きから始まります。目の前の風景を写真に撮ることはしません。心が動いた記憶を、まず言葉に変換します。「縦に細長いススキの穂」「もくもくした雲」。言葉にすることで、事実のコピーではなく模様の核だけが残り、頭の中でイメージがふくらんでからアイデアスケッチに入ります。当店で取り扱う「BIRD GARDEN」も、夜の森の方から鳥の声が聴こえてきたことがきっかけでした。実や葉っぱは、すべて想像の中で描き加えたものです。「キツネの小道」はキタキツネの足跡を見つけたことから生まれました。目で見た事実を出発点にしながら、そこに記憶と感情を重ねて模様を育てていく。「貝殻を集めた記憶がうれしい」「切手をたくさん貼った荷物を送ってくれた人は、その光景を私に見せたかったのかもしれない——そう考えると嬉しくなって、模様につながるんです」という言葉が、そのプロセスをよく表しています。物よりも、物にまつわる記憶や感情が、岡さんの模様の種になっています。   誰かの生活の素材になるために 画材は固定しません。素朴さと力強さを出したいときはクレヨン、透明感が欲しいときは水彩、輪郭をくっきりさせたいときは切り絵。描きたい模様の性質が画材を選びます。オリジナルの模様は年に1〜2点を目標にしていて、「模様の種類が増えることが大事。お客さまの選択肢が増えるから」と語っています。「1枚絵のような作品的なものではなく、リピートして量産できるものを熱望した」という言葉が、岡さんの一貫した姿勢を示しています。家の中は人工的な空間だからこそ、そこに外のものを持ち込む感覚で模様をつくりたい。誰かの暮らしの素材になってはじめて、模様は役割を果たす——そういう考え方が、点と線模様製作所の根底にあります。 わたしがはじめて岡さんと出会ったのは2012年のことです。 あれから10年以上が経ちますが、岡さんの模様に対する姿勢は、当時から少しも揺らいでいません。   岡さん愛用の画材   岡さんの作品はこちら    

作家の深掘りコラム|渡邊謙一郎という人

作家の深掘りコラム|渡邊謙一郎という人

スタンダードトレード 横浜山手ショップの外観   「当たり前を、当たり前にやり切る」 株式会社スタンダードトレードの代表 渡邊謙一郎さんを一言で表すなら、この言葉が最も近いかもしれません。ただし、その「当たり前」の基準が、相当高い。 ナラ材と伝統的な指物技術を軸に家具と空間をつくり、歴史的な家具の修理・修復・復元にも向き合い、言葉でも伝える。多岐にわたる活動の底に、一本の太い芯が通っています。   線が少ないのに、空気が残る a good view にご提供いただいた4点の手描き作品は、家具の「かたち」以上のものを伝えています。椅子の脚の接地、床のライン、余白の取り方。説明的な線は少ないのに、見ている側に「ここに座る」「ここを通る」という感覚が自然と浮かんでくる。おそらくこれは、絵の巧さというより、現場の見方から来るものです。寸法、納まり、手触り、道具の動線——作る前に考え抜く人の目線が、そのまま線になっている。これらはすべて渡邊さん自身が設計したものの手描きとのことで、絵が「設計の延長」に見えるのも、そう考えると自然なことです。   定番は、逃げない設計 STANDARD TRADE.は1998年設立。日本の伝統的な指物技術を用い、シンプルで長く使える家具と空間を手がけること、そして「良質な家具を一般住宅に」という姿勢を一貫して掲げています。 「定番」というと、守りの姿勢に見えることがあります。けれど渡邊さんの定番は、守るためでなく、責任を持つためにあるように思えます。長く使われ、直され、また使われる。そこまでを前提として初めて、設計は本当の意味で「逃げない」ものになる。   直す経験が、作る精度を上げる 渡邊さんは、フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルや自由学園明日館の家具修復、小泉八雲が愛用した机と椅子の復元など、歴史的に重要な家具の修理・修復・復元にも携わっています。 修復や復元の仕事は、当時の合理性、素材のクセ、壊れ方の理由まで含めて学ぶことになります。作る側の想像力が「時間」まで広がる経験です。渡邊さんの作品や絵が余白の中に時間を感じさせるのは、そうした経験と無縁ではないでしょう。 こうした姿勢は、プライベートにも顔を出します。渡邊さんはボルボ240エステートや初代レンジローバーといった旧車を、手をかけながら大切に乗り続けています。壊れたから新しいものに替えるのではなく、時間をかけて関係を深めていく。家具への向き合い方と、どこか重なりますね。   渡邊さんの愛車 VOLVO240 エステート   語れる職人は、技術を未来に渡せる 渡邊さんはYouTube番組「家具とか建築とか」に出演されたり、神奈川大学建築学部の非常勤講師として教育にも携わっていますが、その講義の質は客観的な評価としても示されています。優れた講義を行った教員を表彰する賞が創設され、約8,000講義の中から選ばれた12講義のひとつとして、見事受賞されました。作れるだけでなく、語れる。その力が、こうした形で認められているのです。 企業へのアドバイザリーも行うなど、現場の外へも積極的に関わっています。作れるだけでは、技術は属人化しがちです。語れる人は、共有できる。現場の人間が自分の仕事を言語化できることは、技術を未来へ渡すうえで、想像以上に大きな力を持ちます。...

作家の深掘りコラム|渡邊謙一郎という人

スタンダードトレード 横浜山手ショップの外観   「当たり前を、当たり前にやり切る」 株式会社スタンダードトレードの代表 渡邊謙一郎さんを一言で表すなら、この言葉が最も近いかもしれません。ただし、その「当たり前」の基準が、相当高い。 ナラ材と伝統的な指物技術を軸に家具と空間をつくり、歴史的な家具の修理・修復・復元にも向き合い、言葉でも伝える。多岐にわたる活動の底に、一本の太い芯が通っています。   線が少ないのに、空気が残る a good view にご提供いただいた4点の手描き作品は、家具の「かたち」以上のものを伝えています。椅子の脚の接地、床のライン、余白の取り方。説明的な線は少ないのに、見ている側に「ここに座る」「ここを通る」という感覚が自然と浮かんでくる。おそらくこれは、絵の巧さというより、現場の見方から来るものです。寸法、納まり、手触り、道具の動線——作る前に考え抜く人の目線が、そのまま線になっている。これらはすべて渡邊さん自身が設計したものの手描きとのことで、絵が「設計の延長」に見えるのも、そう考えると自然なことです。   定番は、逃げない設計 STANDARD TRADE.は1998年設立。日本の伝統的な指物技術を用い、シンプルで長く使える家具と空間を手がけること、そして「良質な家具を一般住宅に」という姿勢を一貫して掲げています。 「定番」というと、守りの姿勢に見えることがあります。けれど渡邊さんの定番は、守るためでなく、責任を持つためにあるように思えます。長く使われ、直され、また使われる。そこまでを前提として初めて、設計は本当の意味で「逃げない」ものになる。   直す経験が、作る精度を上げる 渡邊さんは、フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルや自由学園明日館の家具修復、小泉八雲が愛用した机と椅子の復元など、歴史的に重要な家具の修理・修復・復元にも携わっています。 修復や復元の仕事は、当時の合理性、素材のクセ、壊れ方の理由まで含めて学ぶことになります。作る側の想像力が「時間」まで広がる経験です。渡邊さんの作品や絵が余白の中に時間を感じさせるのは、そうした経験と無縁ではないでしょう。 こうした姿勢は、プライベートにも顔を出します。渡邊さんはボルボ240エステートや初代レンジローバーといった旧車を、手をかけながら大切に乗り続けています。壊れたから新しいものに替えるのではなく、時間をかけて関係を深めていく。家具への向き合い方と、どこか重なりますね。   渡邊さんの愛車 VOLVO240 エステート   語れる職人は、技術を未来に渡せる 渡邊さんはYouTube番組「家具とか建築とか」に出演されたり、神奈川大学建築学部の非常勤講師として教育にも携わっていますが、その講義の質は客観的な評価としても示されています。優れた講義を行った教員を表彰する賞が創設され、約8,000講義の中から選ばれた12講義のひとつとして、見事受賞されました。作れるだけでなく、語れる。その力が、こうした形で認められているのです。 企業へのアドバイザリーも行うなど、現場の外へも積極的に関わっています。作れるだけでは、技術は属人化しがちです。語れる人は、共有できる。現場の人間が自分の仕事を言語化できることは、技術を未来へ渡すうえで、想像以上に大きな力を持ちます。...

作家の深掘りコラム|時間の気配を飾る、ハシモトヒロコの水彩画

作家の深掘りコラム|時間の気配を飾る、ハシモトヒロコの水彩画

はじめに ハシモトさんの絵には、光の温度があります。やわらかなオレンジや黄、そこに淡い青やグレーが重なると、物や景色というより"時間"が描かれているように感じます。水彩の偶然性が柔らかさを生み、配置の確かさが芯をつくる。そのバランスが、見る人を静かに引き寄せます。暮らしの中に飾ると、空間の空気がすっと整う。そんなアートです。   もう一度、手描きへ戻るまで ハシモトさんは、もともと絵を描くのが好きで、高校・短大と美術系の学校で学びました。描くことが特別な出来事というより、当たり前に自分の傍らにあった時間だったのだと思います。 就職後はしばらくWEB制作の仕事やイラストの仕事に携わります。作ることを続けながらも、仕事の速度や求められる形のなかで、手描きの絵が持つ緩さや揺れが、どこか遠いものに感じられる瞬間もあったのかもしれません。 転機は2020年頃。「もう一度手描きの絵を描きたい」「絵を描いて生きていきたい」。その思いが繰り返し立ち上がるようになり、一念発起して作家活動に専念します。 ただ、専念することを決めたからといって、すぐに自分の絵が手に入るわけではありません。ハシモトさんが最初に取り組んだのは、上手く描こうとすることを手放すことでした。上手に見せるより、手が自然に動くこと。整えすぎず、無難にまとめず、いまの自分が出てくるゆとりを残すこと。そこから、絵の空気が少しずつ変わっていったといいます。   石がつくる緊張と、ぎりぎりの均衡 さまざまなモチーフを描いていくなかで、ハシモトさんはロックバランシングが持つ造形に強い衝撃を受けました。おだやかな空気のなかに、緊張感がある。崩れそうで崩れない。そのぎりぎりの均衡が、見る人の呼吸まで変えてしまうような不思議な力を持っています。 石の形には決まりがなく、一つとして同じものがありません。だからこそ形を自由に表現でき、色も自分が好きな色で描ける。いまの自分にとって、とても自然でぴったりなモチーフだと感じているそうです。 ロックバランシングは、石を重ねて均衡させる表現として知られていますが、ハシモトさんが惹かれているのは、単なる技巧よりも、そのたたずまいが生む張りつめた静けさなのだと思います。言葉が少ないぶん、見る側が勝手に意味を足すことができる。その余白が、石にも絵にも共通しています。     にじみが連れてくる、予想外の表情 作品を通じて楽しんでほしいのは、水彩が持つ独特な滲みや微妙な色の変化です。色と色がぶつかって生まれる、思いもよらない表情。意図だけでは到達できない領域が、水の動きのなかにふっと現れるときがあります。 偶然にできた滲みの跡は、近づいて見ると何かの形に見えたり、見るたびに新しい発見があったりします。一度見て終わりではなく、何度も目が戻ってくる。説明の代わりに、発見が残る。ハシモトさんが描きたいのは、そんな「見返すほど増えていく絵」なのだと思います。   透明水彩とカラーインク、そして「説明しすぎない」 ハシモトさんは、絵の具の滲みや、乾いた後に偶然できた色の輪郭を表現したくて、主に透明水彩とカラーインクで制作しています。たっぷり水を含ませて塗っていくため、乾くまでかなり時間がかかります。けれど、その時間さえも"結果を待つ"というより、画面の呼吸を待つような感覚で楽しみながら制作しているそうです。 色や構図はできるだけシンプルにすることを心がけ、説明的な絵にならないようにしています。見ている人に余白を残し、「これは何を表しているんだろう」と考えてもらえるような表現を大切にしています。 影響を受けた作家として挙げるのは、絵本作家の五味太郎さんです。カラーインクを使おうと思ったのも、五味さんのビビッドな配色に心を打たれたことがきっかけでした。強い色は、ともすると印象が前に出すぎてしまうこともあります。けれどハシモトさんの画面では、その強さが尖らずに残ります。滲みが境界をやわらげ、色同士の距離感を整えているのかもしれません。   「これでいい」と言えるところまで 絵を描くときに大切にしているのは、上手く描こうと思わないことです。そして「これでいいんだよ」と自分を許しながら描くこと。 よく見られたい、上手に描かなければ。そういう気持ちは、誰のなかにも自然に生まれます。ただ、その気持ちが強くなりすぎると、守りに入ってしまい、肩に力が入ってしまう。ハシモトさんはその感覚をよく知っていて、だからこそ力を抜く方向へ自分を戻していきます。 「上手く描く」より先に、「いまの自分が出てくる」こと。小さなズレや偶然を受け入れること。そうして残ったもののほうが、あとから振り返ったときに、いちばん嘘がない。ハシモトさんの言葉からは、そんな制作の倫理のようなものが伝わってきます。   色から始まる着想、季節が変えるパレット...

作家の深掘りコラム|時間の気配を飾る、ハシモトヒロコの水彩画

はじめに ハシモトさんの絵には、光の温度があります。やわらかなオレンジや黄、そこに淡い青やグレーが重なると、物や景色というより"時間"が描かれているように感じます。水彩の偶然性が柔らかさを生み、配置の確かさが芯をつくる。そのバランスが、見る人を静かに引き寄せます。暮らしの中に飾ると、空間の空気がすっと整う。そんなアートです。   もう一度、手描きへ戻るまで ハシモトさんは、もともと絵を描くのが好きで、高校・短大と美術系の学校で学びました。描くことが特別な出来事というより、当たり前に自分の傍らにあった時間だったのだと思います。 就職後はしばらくWEB制作の仕事やイラストの仕事に携わります。作ることを続けながらも、仕事の速度や求められる形のなかで、手描きの絵が持つ緩さや揺れが、どこか遠いものに感じられる瞬間もあったのかもしれません。 転機は2020年頃。「もう一度手描きの絵を描きたい」「絵を描いて生きていきたい」。その思いが繰り返し立ち上がるようになり、一念発起して作家活動に専念します。 ただ、専念することを決めたからといって、すぐに自分の絵が手に入るわけではありません。ハシモトさんが最初に取り組んだのは、上手く描こうとすることを手放すことでした。上手に見せるより、手が自然に動くこと。整えすぎず、無難にまとめず、いまの自分が出てくるゆとりを残すこと。そこから、絵の空気が少しずつ変わっていったといいます。   石がつくる緊張と、ぎりぎりの均衡 さまざまなモチーフを描いていくなかで、ハシモトさんはロックバランシングが持つ造形に強い衝撃を受けました。おだやかな空気のなかに、緊張感がある。崩れそうで崩れない。そのぎりぎりの均衡が、見る人の呼吸まで変えてしまうような不思議な力を持っています。 石の形には決まりがなく、一つとして同じものがありません。だからこそ形を自由に表現でき、色も自分が好きな色で描ける。いまの自分にとって、とても自然でぴったりなモチーフだと感じているそうです。 ロックバランシングは、石を重ねて均衡させる表現として知られていますが、ハシモトさんが惹かれているのは、単なる技巧よりも、そのたたずまいが生む張りつめた静けさなのだと思います。言葉が少ないぶん、見る側が勝手に意味を足すことができる。その余白が、石にも絵にも共通しています。     にじみが連れてくる、予想外の表情 作品を通じて楽しんでほしいのは、水彩が持つ独特な滲みや微妙な色の変化です。色と色がぶつかって生まれる、思いもよらない表情。意図だけでは到達できない領域が、水の動きのなかにふっと現れるときがあります。 偶然にできた滲みの跡は、近づいて見ると何かの形に見えたり、見るたびに新しい発見があったりします。一度見て終わりではなく、何度も目が戻ってくる。説明の代わりに、発見が残る。ハシモトさんが描きたいのは、そんな「見返すほど増えていく絵」なのだと思います。   透明水彩とカラーインク、そして「説明しすぎない」 ハシモトさんは、絵の具の滲みや、乾いた後に偶然できた色の輪郭を表現したくて、主に透明水彩とカラーインクで制作しています。たっぷり水を含ませて塗っていくため、乾くまでかなり時間がかかります。けれど、その時間さえも"結果を待つ"というより、画面の呼吸を待つような感覚で楽しみながら制作しているそうです。 色や構図はできるだけシンプルにすることを心がけ、説明的な絵にならないようにしています。見ている人に余白を残し、「これは何を表しているんだろう」と考えてもらえるような表現を大切にしています。 影響を受けた作家として挙げるのは、絵本作家の五味太郎さんです。カラーインクを使おうと思ったのも、五味さんのビビッドな配色に心を打たれたことがきっかけでした。強い色は、ともすると印象が前に出すぎてしまうこともあります。けれどハシモトさんの画面では、その強さが尖らずに残ります。滲みが境界をやわらげ、色同士の距離感を整えているのかもしれません。   「これでいい」と言えるところまで 絵を描くときに大切にしているのは、上手く描こうと思わないことです。そして「これでいいんだよ」と自分を許しながら描くこと。 よく見られたい、上手に描かなければ。そういう気持ちは、誰のなかにも自然に生まれます。ただ、その気持ちが強くなりすぎると、守りに入ってしまい、肩に力が入ってしまう。ハシモトさんはその感覚をよく知っていて、だからこそ力を抜く方向へ自分を戻していきます。 「上手く描く」より先に、「いまの自分が出てくる」こと。小さなズレや偶然を受け入れること。そうして残ったもののほうが、あとから振り返ったときに、いちばん嘘がない。ハシモトさんの言葉からは、そんな制作の倫理のようなものが伝わってきます。   色から始まる着想、季節が変えるパレット...

作家の深掘りコラム | つくる時間が、暮らしを整える。Jurianne Matter(ユリアン・マター)

作家の深掘りコラム | つくる時間が、暮らしを整える。Jurianne Matter(ユリアン...

Jurianne Matter(ユリアン・マター)のプロダクトには「家に飾る」より前に「手を動かす」時間が用意されています。紙の花束やツリー そして願いをのせたボート。完成品が主役というより、つくる行為そのものが暮らしの輪郭を整えていくように感じます。   ユリアンさんの歩み ユリアンさんはアムステルダムでインテリアデザインを学び、IKEAでスタイリストとして経験を積んだのち、2008年に自身の名を冠したデザインスタジオ「Jurianne Matter」をスタートしました。ミニマルで詩的なホームアクセサリーは、世界30ヵ国以上のミュージアムショップやインテリアショップなどへ納入実績があり、現在も世界中を旅しているのだそうです。 自身のブランドにとどまらず、パターンデザインやパッケージデザイン、スタイリングなど、さまざまな文脈を行き来し企業とのコラボレーションも行われています。アムステルダムにあるオランダ最古の動物園・王立動物園ARTISのためにガーデンツールをデザインしたり、キッズブランドのバッグデザインや包装紙のデザインやスタイリングなど、その活躍は多岐に渡ります。   朝の散歩と 自然のカラーパレット 彼女の制作の背骨にあるのは自然です。朝の散歩を何年も習慣にし、朝日とともにハイキングシューズを履いて、家のすぐ裏にある自然保護区へ入る。毎日違う天気や気分や季節、そこで出会う動植物から刺激を受けながら、歩きながら頭の中で自然のカラーパレットを組み立てていくそうです。朝露をまとった蜘蛛の巣 霧の中から現れる夜と朝のはざまの色 列をなして飛ぶ鳥たち。自然の中の美しさは栄養のようなものだと語られています。   空間を奪わない 静けさの設計 その「栄養」は、彼女のプロダクトの佇まいに変換されます。線は強く主張しすぎず、色数や色味も抑えめで、空間に置いたときに景色を奪わない。だからこそ、住まいのどこに置いても不思議と馴染み、まるでずっと前からそこにあったように見える。和室にも合うと感じる人がいるのも、そうした静けさの設計に理由があるのかもしれません。当店にご提供いただいた作品からも、その静けさが伝わってきます。豆の莢のような植物、花の穂、鳥、蝶といったモチーフが、切り紙のような面とやさしい余白で構成され、色味は明るいのに騒がしくならない。眺めていると、風が通り抜ける気配だけが残るようで、部屋の空気をふっと軽くしてくれます。 当店とのコラボ作品   願いのボートが生まれた理由 もう一つ、ユリアンさんを語るうえで外せないのが「願いのボート」です。大切な人を失った出来事が重なった時期に、家族で想いをのせたボートを流した経験があり、その出来事の背景には、親友と彼女のお母さまを津波で亡くした痛みがあったそうです。命日を迎え、どうやって想いを手向けようかと家族で話していたとき、末っ子が「津波は水だから、ボートに乗ろうか」と口にした。そこで彼女は、ボートの手すりに沿うように短いメッセージを書き、彼女たちへの想いをそっとのせて川へ流しました。誰かに見せるためではなく、気持ちを運ぶための小さな儀式だったのだと思います。そこから「これを世の中に共有する必要がある」と感じたという話が残っています。ここで大事なのは、ボートが“商品アイデア”として生まれたのではなく、言葉にならない気持ちを運ぶ方法として生まれている点です。飾るためのモノというより、節目や記憶にそっと触れる小さな行為として、暮らしの中へ入ってくる。彼女のプロダクトに、どこか静かな祈りの気配が宿る理由はそこにあります。   彼女にとっての「美しい」 彼女が語る「美しい」は見た目だけで終わりません。環境に配慮した素材かどうか、丁寧につくられているか、誰でも不安なく楽しんで形にできるか。つくる時間 飾る空間 未来への影響まで含めて「美しい」と納得できたものだけを世に出しているという姿勢が語られています。 ユリアンさんが読んだ本に「読みたい本は自分で書かなければなりません。」という言葉があったそうです。わたしがこの言葉を聞いたとき、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、わたし自身のこころが震えました。 「美しいものへの愛、美しいものを作ること、そしてそれは必ずしも実用的である必要はない」という彼女の言葉とともに、今の仕事に大きな影響をもたらしています。  ...

作家の深掘りコラム | つくる時間が、暮らしを整える。Jurianne Matter(ユリアン...

Jurianne Matter(ユリアン・マター)のプロダクトには「家に飾る」より前に「手を動かす」時間が用意されています。紙の花束やツリー そして願いをのせたボート。完成品が主役というより、つくる行為そのものが暮らしの輪郭を整えていくように感じます。   ユリアンさんの歩み ユリアンさんはアムステルダムでインテリアデザインを学び、IKEAでスタイリストとして経験を積んだのち、2008年に自身の名を冠したデザインスタジオ「Jurianne Matter」をスタートしました。ミニマルで詩的なホームアクセサリーは、世界30ヵ国以上のミュージアムショップやインテリアショップなどへ納入実績があり、現在も世界中を旅しているのだそうです。 自身のブランドにとどまらず、パターンデザインやパッケージデザイン、スタイリングなど、さまざまな文脈を行き来し企業とのコラボレーションも行われています。アムステルダムにあるオランダ最古の動物園・王立動物園ARTISのためにガーデンツールをデザインしたり、キッズブランドのバッグデザインや包装紙のデザインやスタイリングなど、その活躍は多岐に渡ります。   朝の散歩と 自然のカラーパレット 彼女の制作の背骨にあるのは自然です。朝の散歩を何年も習慣にし、朝日とともにハイキングシューズを履いて、家のすぐ裏にある自然保護区へ入る。毎日違う天気や気分や季節、そこで出会う動植物から刺激を受けながら、歩きながら頭の中で自然のカラーパレットを組み立てていくそうです。朝露をまとった蜘蛛の巣 霧の中から現れる夜と朝のはざまの色 列をなして飛ぶ鳥たち。自然の中の美しさは栄養のようなものだと語られています。   空間を奪わない 静けさの設計 その「栄養」は、彼女のプロダクトの佇まいに変換されます。線は強く主張しすぎず、色数や色味も抑えめで、空間に置いたときに景色を奪わない。だからこそ、住まいのどこに置いても不思議と馴染み、まるでずっと前からそこにあったように見える。和室にも合うと感じる人がいるのも、そうした静けさの設計に理由があるのかもしれません。当店にご提供いただいた作品からも、その静けさが伝わってきます。豆の莢のような植物、花の穂、鳥、蝶といったモチーフが、切り紙のような面とやさしい余白で構成され、色味は明るいのに騒がしくならない。眺めていると、風が通り抜ける気配だけが残るようで、部屋の空気をふっと軽くしてくれます。 当店とのコラボ作品   願いのボートが生まれた理由 もう一つ、ユリアンさんを語るうえで外せないのが「願いのボート」です。大切な人を失った出来事が重なった時期に、家族で想いをのせたボートを流した経験があり、その出来事の背景には、親友と彼女のお母さまを津波で亡くした痛みがあったそうです。命日を迎え、どうやって想いを手向けようかと家族で話していたとき、末っ子が「津波は水だから、ボートに乗ろうか」と口にした。そこで彼女は、ボートの手すりに沿うように短いメッセージを書き、彼女たちへの想いをそっとのせて川へ流しました。誰かに見せるためではなく、気持ちを運ぶための小さな儀式だったのだと思います。そこから「これを世の中に共有する必要がある」と感じたという話が残っています。ここで大事なのは、ボートが“商品アイデア”として生まれたのではなく、言葉にならない気持ちを運ぶ方法として生まれている点です。飾るためのモノというより、節目や記憶にそっと触れる小さな行為として、暮らしの中へ入ってくる。彼女のプロダクトに、どこか静かな祈りの気配が宿る理由はそこにあります。   彼女にとっての「美しい」 彼女が語る「美しい」は見た目だけで終わりません。環境に配慮した素材かどうか、丁寧につくられているか、誰でも不安なく楽しんで形にできるか。つくる時間 飾る空間 未来への影響まで含めて「美しい」と納得できたものだけを世に出しているという姿勢が語られています。 ユリアンさんが読んだ本に「読みたい本は自分で書かなければなりません。」という言葉があったそうです。わたしがこの言葉を聞いたとき、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、わたし自身のこころが震えました。 「美しいものへの愛、美しいものを作ること、そしてそれは必ずしも実用的である必要はない」という彼女の言葉とともに、今の仕事に大きな影響をもたらしています。  ...

作家の深掘りコラム | 間合いを纏う作家。貴真

作家の深掘りコラム | 間合いを纏う作家。貴真

はじまりは、明確な理由のないところから 貴真さんが絵を描き始めたのは、20代の終わり頃のことだそうです。強い動機や将来像があったわけではなく、「何かを作りたい」という感覚に導かれるように、油絵を描き始めたのがきっかけでした。続けようと意識することもなく、あれこれと思いつくままに試していく。その延長線上に、今も制作があると語ります。 その後、デザインの仕事にも携わりますが、一方で、「クライアントのいない創作」を自由に行いたいという思いが、次第に大きくなっていきました。明確な転機があったというより、日々の積み重ねの中で、制作が自然と生活の一部として定着していったように思えます。   語らない画面がつくる、色と色の間合い 貴真さんの作品を前にすると、まず感じるのは、風景を描いているようでいて、どこにも具体的な場所が示されていないことです。水平に重ねられた色の層は、空や海、地平線を連想させますが、それを言葉で確定させることを拒んでいるようにも見えます。 淡い色調の作品では、光がにじむように広がり、赤や青を用いた画面でも、感情を強く押し出す印象はありません。色と色の境界は曖昧で、そのあいだに、見る側の感覚が入り込むための間合いが静かに保たれています。そのため鑑賞者は、作品から何かを「読み取ろう」とするよりも、自然と自分自身の記憶や気分を重ねながら画面と向き合うことになります。   作品が完結しないことの意味 貴真さん自身は、自身の作品に「寡黙」という言葉を当てています。それは、作品が多くを語らないという意味であり、同時に、語り切らないことを大切にしているという姿勢でもあります。 作品そのものが明確なメッセージを提示するのではなく、鑑賞者が作品と対峙したときに、その人の内側で何かが動く。その小さな変化の引き金となることが、理想の在り方だと考えています。強烈な刺激ではなく、ささやかで過剰でないこと。作品が完結せず、見る人の感覚によって開かれていく余地を残すことが、貴真さんの制作の根底にあります。   画面強度という基準 制作において、貴真さんが特に重視しているのが、「画面強度」と呼んでいる感覚です。それは色の濃さやコントラスト、塗りの厚さといった物理的な強さではありません。鑑賞者の視線や時間に耐えうるかどうか、見続けることで世界が深まっていくかどうか。そのような、感覚的で直感的な基準です。 世の中には、一見して目を引いても、しばらく見ていると薄さが露わになる画面も少なくありません。一方で、時間をかけて眺めるほど、奥行きが増していく作品もある。貴真さんは、制作中、画面と対話するように手を動かし、その強度が十分に感じられるまで、制作を続けます。その姿勢は、美術館で作品を鑑賞する感覚とよく似ていますが、唯一の違いは、自ら手を加えられる点にあります。   日常の中に置かれることを想像して 完成した作品は、誰かの日常の中に飾られることを前提にしています。そのため、技術を誇示するためだけの表現や、感情を過剰にぶつけるような画面、大きすぎて空間を圧迫する作品には向かいません。自分自身が日常の中に置きたいと思えないものは、制作したくない。その基準は一貫しています。 制作は自宅の一室で行われます。準備の時間には音楽を流し、道具を整える。そして筆を取る直前に音を消し、無音の状態に入ることで、感性のスイッチが入る。制作中は、余計な音のない環境が最も集中できると感じているそうです。   言葉から離れ、感性に委ねる 着想は、意識的に探しているときよりも、ふと力が抜けた瞬間に訪れます。本を読んでいるときの連想や、早朝や夕方、太陽が低くなった時間帯の色彩。作品に見られる柔らかなグラデーションや水平の広がりは、そうした時間の感覚が静かに反映されているようにも見えます。 最近は、「言葉からの離脱」を強く意識した制作に向かっているといいます。意味を組み立てるのではなく、感性と身体だけを働かせて画面に向かうこと。その難しさを自覚しているからこそ、少しでも違和感があれば無理に進めず、手を止める選択をします。今後は、対幅や三幅対といった、複数の作品が影響し合う形式にも、改めて取り組んでみたいと考えているようです。   作品と向き合うということ 作品を前にしたとき、作家の意図を読み解こうとする必要はありません。むしろ、自分自身の感覚が何を感じているのかに目を向けてほしいと、貴真さんは語ります。飾ることも義務のように捉えず、季節や気分に合わせて掛け替えながら、空間の変化を愉しむ。その中に、貴真さんの作品が一枚あったなら嬉しい、と。 語りすぎない画面と、静かに保たれた間合い。貴真さんの作品は、暮らしの中でふと立ち止まり、呼吸を整えるための存在として、そっとそこに在り続けます。   このコラムの執筆にあたり、貴真さんよりご提供いただいた写真をご紹介します。これらの写真は、絵画作品とあわせて見ることで、制作時の視点や関心を想像する手がかりになるかもしれません。  ...

作家の深掘りコラム | 間合いを纏う作家。貴真

はじまりは、明確な理由のないところから 貴真さんが絵を描き始めたのは、20代の終わり頃のことだそうです。強い動機や将来像があったわけではなく、「何かを作りたい」という感覚に導かれるように、油絵を描き始めたのがきっかけでした。続けようと意識することもなく、あれこれと思いつくままに試していく。その延長線上に、今も制作があると語ります。 その後、デザインの仕事にも携わりますが、一方で、「クライアントのいない創作」を自由に行いたいという思いが、次第に大きくなっていきました。明確な転機があったというより、日々の積み重ねの中で、制作が自然と生活の一部として定着していったように思えます。   語らない画面がつくる、色と色の間合い 貴真さんの作品を前にすると、まず感じるのは、風景を描いているようでいて、どこにも具体的な場所が示されていないことです。水平に重ねられた色の層は、空や海、地平線を連想させますが、それを言葉で確定させることを拒んでいるようにも見えます。 淡い色調の作品では、光がにじむように広がり、赤や青を用いた画面でも、感情を強く押し出す印象はありません。色と色の境界は曖昧で、そのあいだに、見る側の感覚が入り込むための間合いが静かに保たれています。そのため鑑賞者は、作品から何かを「読み取ろう」とするよりも、自然と自分自身の記憶や気分を重ねながら画面と向き合うことになります。   作品が完結しないことの意味 貴真さん自身は、自身の作品に「寡黙」という言葉を当てています。それは、作品が多くを語らないという意味であり、同時に、語り切らないことを大切にしているという姿勢でもあります。 作品そのものが明確なメッセージを提示するのではなく、鑑賞者が作品と対峙したときに、その人の内側で何かが動く。その小さな変化の引き金となることが、理想の在り方だと考えています。強烈な刺激ではなく、ささやかで過剰でないこと。作品が完結せず、見る人の感覚によって開かれていく余地を残すことが、貴真さんの制作の根底にあります。   画面強度という基準 制作において、貴真さんが特に重視しているのが、「画面強度」と呼んでいる感覚です。それは色の濃さやコントラスト、塗りの厚さといった物理的な強さではありません。鑑賞者の視線や時間に耐えうるかどうか、見続けることで世界が深まっていくかどうか。そのような、感覚的で直感的な基準です。 世の中には、一見して目を引いても、しばらく見ていると薄さが露わになる画面も少なくありません。一方で、時間をかけて眺めるほど、奥行きが増していく作品もある。貴真さんは、制作中、画面と対話するように手を動かし、その強度が十分に感じられるまで、制作を続けます。その姿勢は、美術館で作品を鑑賞する感覚とよく似ていますが、唯一の違いは、自ら手を加えられる点にあります。   日常の中に置かれることを想像して 完成した作品は、誰かの日常の中に飾られることを前提にしています。そのため、技術を誇示するためだけの表現や、感情を過剰にぶつけるような画面、大きすぎて空間を圧迫する作品には向かいません。自分自身が日常の中に置きたいと思えないものは、制作したくない。その基準は一貫しています。 制作は自宅の一室で行われます。準備の時間には音楽を流し、道具を整える。そして筆を取る直前に音を消し、無音の状態に入ることで、感性のスイッチが入る。制作中は、余計な音のない環境が最も集中できると感じているそうです。   言葉から離れ、感性に委ねる 着想は、意識的に探しているときよりも、ふと力が抜けた瞬間に訪れます。本を読んでいるときの連想や、早朝や夕方、太陽が低くなった時間帯の色彩。作品に見られる柔らかなグラデーションや水平の広がりは、そうした時間の感覚が静かに反映されているようにも見えます。 最近は、「言葉からの離脱」を強く意識した制作に向かっているといいます。意味を組み立てるのではなく、感性と身体だけを働かせて画面に向かうこと。その難しさを自覚しているからこそ、少しでも違和感があれば無理に進めず、手を止める選択をします。今後は、対幅や三幅対といった、複数の作品が影響し合う形式にも、改めて取り組んでみたいと考えているようです。   作品と向き合うということ 作品を前にしたとき、作家の意図を読み解こうとする必要はありません。むしろ、自分自身の感覚が何を感じているのかに目を向けてほしいと、貴真さんは語ります。飾ることも義務のように捉えず、季節や気分に合わせて掛け替えながら、空間の変化を愉しむ。その中に、貴真さんの作品が一枚あったなら嬉しい、と。 語りすぎない画面と、静かに保たれた間合い。貴真さんの作品は、暮らしの中でふと立ち止まり、呼吸を整えるための存在として、そっとそこに在り続けます。   このコラムの執筆にあたり、貴真さんよりご提供いただいた写真をご紹介します。これらの写真は、絵画作品とあわせて見ることで、制作時の視点や関心を想像する手がかりになるかもしれません。  ...

作家の深掘りコラム|触れたくなる“塊”を描く。吉本悠美

作家の深掘りコラム|触れたくなる“塊”を描く。吉本悠美

吉本さんが暮らす山梨県西桂町の景色   はじまりは「描くことが好き」から 吉本悠美さんの作品に触れると、まず「絵柄」より先に、手の動きが残した密度が届きます。線の勢い、擦れ、重なり。そこにあるのは説明のための輪郭ではなく、触れたくなる“質感の塊”です。暮らしの中でふと目に入ったとき、言葉にする前の気分が、静かに立ち上がってくる。その距離感が、吉本さんの表現の魅力だと感じます。  吉本さんは東京造形大学でテキスタイルデザインを学び、学士課程を2013年に卒業、修士課程を2015年に修了しています。現在はテキスタイルデザイナーとして自分のブランドと企業のプロダクト開発を両立し、大学で教える立場も担っています。ただ、肩書きが先に立つタイプの作り手ではありません。作品の芯にあるのは、もっと素朴な「描くことが好き」という原点です。小学生の頃からお絵描き教室に通うほど絵が好きで、本格的に制作として向き合い始めたのは美大入学後。先生や先輩、同級生、インターン先で受けた刺激が積み重なり、大学4年生頃には「いつか作家になれたら」と思うようになったそうです。   節目をつくった受賞と「KESHIKI」 活動の節目として外せないのが、2013年の「コッカプリントテキスタイル賞『inspiration』」審査員特別賞受賞です。大学院在籍中に受賞し、その後2016年にはKOKKAから「KESHIKI(けしき)」をリリース。コンセプトは「風景画を飾るように、生活を彩る布」でした。“風景の気持ち”を布に残すという発想は、今の作品にも通じています。目の前のものをそのまま写すのではなく、心が動いた瞬間の手触りを、別の形に置き換えて残す。その置き換えの精度が高いから、見る側も自分の記憶と重ね合わせやすいのだと思います。   山梨移住で、制作の時間が変わる もう一つの大きな転機が、拠点の移動です。2018年に東京から山梨県西桂町へ家族で移住。きっかけは、東京造形大学と西桂町・富士吉田市が連携して進めた「富士山テキスタイルプロジェクト」だったそうです環境が変わると、制作の時間の流れも変わります。吉本さんは制作前に頭の中でたくさんシミュレーションを重ね、縮こまらないために、なるべく大きい紙に描くこともあるとのこと。モットーは「やればなんとかなる、日々精進、鍛錬、体育会系精神」。ここには“根性論”というより、制作を続けるための現実的な体力がにじみます。   テクスチャが主役になる「塊」の発想 「texture object」シリーズについて、吉本さんはこんな問いから始めたと話します。「テクスチャ自体がモチーフとなったら?」。そこから生まれたのが“テクスチャで成り立つ塊”というコンセプトでした。手描きの質感やテクスチャ感を大切にしつつ、自分が目にして脳内に保管してきた「GOOD」「ググッときたもの」を作品を通して共有したい。けれど押しつけはしない。観た人が自由に想像できることを最優先に置き、刺激やインスピレーションの入口になれたらと考えています。この「余白の置き方」が、吉本作品の品の良さです。分かりやすく言い切らない。けれど曖昧に逃げない。見ている側が自分の感覚を取り戻せる“間”が、画面のどこかに必ず用意されています。   整えすぎない描き味と「見立てる」手法 技法の選び方も、その姿勢と一致しています。手描きの質感が残るもの、勢いよく描けるものが好きで、たとえば「texture object」シリーズでは、油分多めの色鉛筆であるダーマトグラフやグラフを用いたとのこと。整えすぎず、ライブ感が伝わる描き味になるよう意識しているそうです。さらに、表現を分かりやすくするために「見立てる」という手法をよく使う。抽象に寄せながら、鑑賞の足場も残す。この“足場の作り方”が巧みだから、作品は難解になりきらず、暮らしに入り込めます。   「装飾」を引き受ける、飾ることの意味 暮らしに入り込む、という点では、吉本さんが「装飾」という言葉を自分の領域として捉え始めたという話も印象的です。飾ることは、その対象を大事にすること、愛でること。ポスターを壁に飾れば、その壁や空間に対して愛着が湧く。作品は、作品のことを考えながら見なくてもいい。見ながら別のことを考えてもいい。たまに、ぼーっと眺める存在になれたら嬉しい。この言葉は、買い手にとっても救いがあります。美術の知識や正しい鑑賞態度を要求されない。好きという感覚から始めていい。その軽さが、長く続く愛着につながります。   PORTRAIT LABへ、そして空間へ 現在の取り組みとしては、具象的なモチーフを自分なりの表現で描く試みを進めつつ、自身のブランド商品の図案でも試行錯誤しているとのことです。そのブランドが「PORTRAIT LAB」。インタビューでは、コロナ禍の時期に立ち上げたこと、ソファの写真を眺めるうちに「クッションが四角ばかり」と気づき、形を変えたら面白いのではという発想から「Fabric object」へつながっていったことが語られています。今年の2月15日まで、Spiral Market ルクア大阪で「PORTRAIT...

作家の深掘りコラム|触れたくなる“塊”を描く。吉本悠美

吉本さんが暮らす山梨県西桂町の景色   はじまりは「描くことが好き」から 吉本悠美さんの作品に触れると、まず「絵柄」より先に、手の動きが残した密度が届きます。線の勢い、擦れ、重なり。そこにあるのは説明のための輪郭ではなく、触れたくなる“質感の塊”です。暮らしの中でふと目に入ったとき、言葉にする前の気分が、静かに立ち上がってくる。その距離感が、吉本さんの表現の魅力だと感じます。  吉本さんは東京造形大学でテキスタイルデザインを学び、学士課程を2013年に卒業、修士課程を2015年に修了しています。現在はテキスタイルデザイナーとして自分のブランドと企業のプロダクト開発を両立し、大学で教える立場も担っています。ただ、肩書きが先に立つタイプの作り手ではありません。作品の芯にあるのは、もっと素朴な「描くことが好き」という原点です。小学生の頃からお絵描き教室に通うほど絵が好きで、本格的に制作として向き合い始めたのは美大入学後。先生や先輩、同級生、インターン先で受けた刺激が積み重なり、大学4年生頃には「いつか作家になれたら」と思うようになったそうです。   節目をつくった受賞と「KESHIKI」 活動の節目として外せないのが、2013年の「コッカプリントテキスタイル賞『inspiration』」審査員特別賞受賞です。大学院在籍中に受賞し、その後2016年にはKOKKAから「KESHIKI(けしき)」をリリース。コンセプトは「風景画を飾るように、生活を彩る布」でした。“風景の気持ち”を布に残すという発想は、今の作品にも通じています。目の前のものをそのまま写すのではなく、心が動いた瞬間の手触りを、別の形に置き換えて残す。その置き換えの精度が高いから、見る側も自分の記憶と重ね合わせやすいのだと思います。   山梨移住で、制作の時間が変わる もう一つの大きな転機が、拠点の移動です。2018年に東京から山梨県西桂町へ家族で移住。きっかけは、東京造形大学と西桂町・富士吉田市が連携して進めた「富士山テキスタイルプロジェクト」だったそうです環境が変わると、制作の時間の流れも変わります。吉本さんは制作前に頭の中でたくさんシミュレーションを重ね、縮こまらないために、なるべく大きい紙に描くこともあるとのこと。モットーは「やればなんとかなる、日々精進、鍛錬、体育会系精神」。ここには“根性論”というより、制作を続けるための現実的な体力がにじみます。   テクスチャが主役になる「塊」の発想 「texture object」シリーズについて、吉本さんはこんな問いから始めたと話します。「テクスチャ自体がモチーフとなったら?」。そこから生まれたのが“テクスチャで成り立つ塊”というコンセプトでした。手描きの質感やテクスチャ感を大切にしつつ、自分が目にして脳内に保管してきた「GOOD」「ググッときたもの」を作品を通して共有したい。けれど押しつけはしない。観た人が自由に想像できることを最優先に置き、刺激やインスピレーションの入口になれたらと考えています。この「余白の置き方」が、吉本作品の品の良さです。分かりやすく言い切らない。けれど曖昧に逃げない。見ている側が自分の感覚を取り戻せる“間”が、画面のどこかに必ず用意されています。   整えすぎない描き味と「見立てる」手法 技法の選び方も、その姿勢と一致しています。手描きの質感が残るもの、勢いよく描けるものが好きで、たとえば「texture object」シリーズでは、油分多めの色鉛筆であるダーマトグラフやグラフを用いたとのこと。整えすぎず、ライブ感が伝わる描き味になるよう意識しているそうです。さらに、表現を分かりやすくするために「見立てる」という手法をよく使う。抽象に寄せながら、鑑賞の足場も残す。この“足場の作り方”が巧みだから、作品は難解になりきらず、暮らしに入り込めます。   「装飾」を引き受ける、飾ることの意味 暮らしに入り込む、という点では、吉本さんが「装飾」という言葉を自分の領域として捉え始めたという話も印象的です。飾ることは、その対象を大事にすること、愛でること。ポスターを壁に飾れば、その壁や空間に対して愛着が湧く。作品は、作品のことを考えながら見なくてもいい。見ながら別のことを考えてもいい。たまに、ぼーっと眺める存在になれたら嬉しい。この言葉は、買い手にとっても救いがあります。美術の知識や正しい鑑賞態度を要求されない。好きという感覚から始めていい。その軽さが、長く続く愛着につながります。   PORTRAIT LABへ、そして空間へ 現在の取り組みとしては、具象的なモチーフを自分なりの表現で描く試みを進めつつ、自身のブランド商品の図案でも試行錯誤しているとのことです。そのブランドが「PORTRAIT LAB」。インタビューでは、コロナ禍の時期に立ち上げたこと、ソファの写真を眺めるうちに「クッションが四角ばかり」と気づき、形を変えたら面白いのではという発想から「Fabric object」へつながっていったことが語られています。今年の2月15日まで、Spiral Market ルクア大阪で「PORTRAIT...

作家の深掘りコラム | 情景を映し出す人、梅崎健(ELEMENTI ART)

作家の深掘りコラム | 情景を映し出す人、梅崎健(ELEMENTI ART)

梅崎さんの作品を見ていると、自然を描いていながら、どこか説明を控えているような印象を受けます。画面は整理され、色や形も必要以上に語りません。そのため、見る側は立ち止まり、ゆっくりと作品と向き合うことになります。   絵との出会い 梅崎健さんが絵を描くことに親しむようになったのは、小学生の頃だそうです。近所の画家に習いながら、スケッチに連れて行ってもらったことがきっかけでした。外で描いているうちに時間を忘れ、気づけば夕方になっていた。その経験を通して、絵を描くことが少しずつ身近なものになっていったとのことです。 武蔵野美術大学へ進学後、在学中にはストックホルムや京都の工芸学校で講習を受講されています。素材への向き合い方や、表現を組み立てる視点について、多くの刺激を受けたと振り返られています。異なる土地や文化の中で学んだ経験は、当時は強く意識していなかったものの、後に振り返ると、現在の制作の土台のひとつになっているように感じられます。   デザインの現場から、制作へ 大学院修了後は企業に入社し、企画部門で主に欧米向けのデザインを担当されました。海外を訪れる機会も多く、仕事を通して数多くのアートに触れる時間を重ねていきます。 クラフト、デザイン、アート。それぞれの分野で得た経験は、すぐに作品として表に現れるものではありませんでしたが、制作に向き合う姿勢や感覚の背景として、少しずつ積み重なっていったように受け取れます。退職後は武蔵野美術大学の客員教授を務め、現在はアート制作を中心に活動されています。 作家として活動を続ける中で、大きな転機となったのが個展やオンラインギャラリーでの経験でした。作品を前にした人から直接感想をもらえたこと、オンラインを通じて作品を迎え入れてくれた方々から前向きな言葉が届いたこと。 絵を通して、それまで接点のなかった幅広い人たちとの交流が生まれたことが、制作を続けていく上での確かな手応えにつながっているようです。   自然をテーマにした表現 梅崎さんの作品には、一貫して自然の情景が描かれています。花の生命力や美しさ、繊細さ。風や波、光、大地の広がり。そうしたモチーフを、そのまま写し取るのではなく、自分なりの解釈を通して画面に落とし込んでいく姿勢がうかがえます。 具象と抽象のあいだを行き来する柔軟さも、作品の大きな特徴のひとつ。花や森、水平線といった形は感じ取れる一方で、細部を描き込みすぎることはありません。形は簡略化され、色や面の重なりによって情景が組み立てられていきます。 構図は一見するととてもシンプルですが、単調な印象は受けません。色のグラデーションやテクスチャーのわずかな違いが画面に奥行きを生み、視線は自然と留まります。近くで見るほど、筆致や滲み、色の重なりが静かに効いていることに気づかされるのです。 明るい色調を用いながらも、落ち着いた空気が保たれている点も印象的です。大胆さと緻密さ、その対比が画面の中で程よく共存しているように感じることができます。   制作の姿勢と日常 制作は自宅で行い、午前中は集中して描き、午後は作業的な工程に充てることが多いとのこと。道具はさまざまな筆に加え、自分で工夫して制作したオリジナルのものも使われています。 描き損じたと感じる部分があっても、それを失敗とは捉えないようにしているそうです。後から振り返ったとき、制作の財産になっていることがあるからだといいます。新しいモチーフや技法に挑戦し続ける姿勢も、そうした考え方に支えられているように感じました。 アイデアが生まれるのは、特別な瞬間というよりも、ふとした場面だそうです。試作中に、海の水平線を眺めているとき、山や地平線の重なりを見たとき、花々の色に目を留めたとき。自然の中にあるわずかな変化が、制作へとつながっていきます。   積み重ねてきた歩み 長年にわたる制作の中で、いくつかの評価も重ねてこられました。2005年にはエプソンカラーイメージングコンテストで佐藤卓賞を受賞。2017年にはタグボートアワードで審査員特別賞を受け、2018年には三井化学の新素材「NAGORI」を活用したデザインコンペで優秀賞を獲得されています。さらに2020年にはMIMARUツーリズムコンペティションのアート部門で優秀賞、2025年には東京建物「Brillia Art Award Wall 2025」を受賞されました。 こうした受賞も、日々制作を続けてきた延長線上にあるものとして受け止められているようです。...

作家の深掘りコラム | 情景を映し出す人、梅崎健(ELEMENTI ART)

梅崎さんの作品を見ていると、自然を描いていながら、どこか説明を控えているような印象を受けます。画面は整理され、色や形も必要以上に語りません。そのため、見る側は立ち止まり、ゆっくりと作品と向き合うことになります。   絵との出会い 梅崎健さんが絵を描くことに親しむようになったのは、小学生の頃だそうです。近所の画家に習いながら、スケッチに連れて行ってもらったことがきっかけでした。外で描いているうちに時間を忘れ、気づけば夕方になっていた。その経験を通して、絵を描くことが少しずつ身近なものになっていったとのことです。 武蔵野美術大学へ進学後、在学中にはストックホルムや京都の工芸学校で講習を受講されています。素材への向き合い方や、表現を組み立てる視点について、多くの刺激を受けたと振り返られています。異なる土地や文化の中で学んだ経験は、当時は強く意識していなかったものの、後に振り返ると、現在の制作の土台のひとつになっているように感じられます。   デザインの現場から、制作へ 大学院修了後は企業に入社し、企画部門で主に欧米向けのデザインを担当されました。海外を訪れる機会も多く、仕事を通して数多くのアートに触れる時間を重ねていきます。 クラフト、デザイン、アート。それぞれの分野で得た経験は、すぐに作品として表に現れるものではありませんでしたが、制作に向き合う姿勢や感覚の背景として、少しずつ積み重なっていったように受け取れます。退職後は武蔵野美術大学の客員教授を務め、現在はアート制作を中心に活動されています。 作家として活動を続ける中で、大きな転機となったのが個展やオンラインギャラリーでの経験でした。作品を前にした人から直接感想をもらえたこと、オンラインを通じて作品を迎え入れてくれた方々から前向きな言葉が届いたこと。 絵を通して、それまで接点のなかった幅広い人たちとの交流が生まれたことが、制作を続けていく上での確かな手応えにつながっているようです。   自然をテーマにした表現 梅崎さんの作品には、一貫して自然の情景が描かれています。花の生命力や美しさ、繊細さ。風や波、光、大地の広がり。そうしたモチーフを、そのまま写し取るのではなく、自分なりの解釈を通して画面に落とし込んでいく姿勢がうかがえます。 具象と抽象のあいだを行き来する柔軟さも、作品の大きな特徴のひとつ。花や森、水平線といった形は感じ取れる一方で、細部を描き込みすぎることはありません。形は簡略化され、色や面の重なりによって情景が組み立てられていきます。 構図は一見するととてもシンプルですが、単調な印象は受けません。色のグラデーションやテクスチャーのわずかな違いが画面に奥行きを生み、視線は自然と留まります。近くで見るほど、筆致や滲み、色の重なりが静かに効いていることに気づかされるのです。 明るい色調を用いながらも、落ち着いた空気が保たれている点も印象的です。大胆さと緻密さ、その対比が画面の中で程よく共存しているように感じることができます。   制作の姿勢と日常 制作は自宅で行い、午前中は集中して描き、午後は作業的な工程に充てることが多いとのこと。道具はさまざまな筆に加え、自分で工夫して制作したオリジナルのものも使われています。 描き損じたと感じる部分があっても、それを失敗とは捉えないようにしているそうです。後から振り返ったとき、制作の財産になっていることがあるからだといいます。新しいモチーフや技法に挑戦し続ける姿勢も、そうした考え方に支えられているように感じました。 アイデアが生まれるのは、特別な瞬間というよりも、ふとした場面だそうです。試作中に、海の水平線を眺めているとき、山や地平線の重なりを見たとき、花々の色に目を留めたとき。自然の中にあるわずかな変化が、制作へとつながっていきます。   積み重ねてきた歩み 長年にわたる制作の中で、いくつかの評価も重ねてこられました。2005年にはエプソンカラーイメージングコンテストで佐藤卓賞を受賞。2017年にはタグボートアワードで審査員特別賞を受け、2018年には三井化学の新素材「NAGORI」を活用したデザインコンペで優秀賞を獲得されています。さらに2020年にはMIMARUツーリズムコンペティションのアート部門で優秀賞、2025年には東京建物「Brillia Art Award Wall 2025」を受賞されました。 こうした受賞も、日々制作を続けてきた延長線上にあるものとして受け止められているようです。...